9月6日(水)
二台のピアノ 渋谷毅×早川義夫 (岸和田市自泉会館楽屋談 2017.9.2) 早川 世の中全体を見るとつまんない音楽の方が多いですよね。
渋谷 つまんないのが多いんだけど。それがホントにつまんないかどうかはわからなくて。というのは、そういうつまんないやつを僕は好きになったりすることもあるから、困っちゃうんだよね。こっちの気分もいつも違うわけだからさ。
なんか日本人、なんて大まかなこと言うと怒られちゃいそうだけど、一つのことをずうっとやっているとそれが偉いみたいに言われたりするじゃないですか。初志貫徹、全然ブレないとかさ。そんなのブレたって、どっちだっていんですよ。そんなことより、自分が今いいと思っていることがいいと思えば、それでいいわけであってさ。それがブレてるとかブレてないとか、冗談じゃない、人間、そんな立派なもんじゃないよと言いたくなっちゃうわけ。周りを見たって、そんな立派な人はいない。音楽をやっている人がみんながベートーヴェンやモーツァルトになれるわけじゃないんだから。そういうこと言うやつがいると頭に来ちゃうんだよね。
早川 じゃ、あいつはブレてないなんていう言葉を聞いただけで不愉快になっちゃう。
渋谷 それがどうしたのって言いたくなっちゃう。 渋谷 僕は自分が音楽ちゃんと出来ないと思っててね。でも、だからといって音楽やめようと思ったことはないんですよね。立派なことをやろうと思うと出来ないことが多いわけだから。人間、立派なこと出来なくてもいいんだ、立派でない方がいいんだ、と考えている。うまくいかないのが普通なんだ。うまくない方がいいんだ。ピアノなんかうまくない方がいいんだ。ヘタな方がいいんだ、ホントに。
早川 じゃ、僕でいんですか?
渋谷 そうですね。
早川 僕はいつもポロっと間違えちゃいそうで、それが不安で、練習したりするんだけど。今日も間違えちゃうかもしれない。それでいんですか。
渋谷 いんだろうね。まずは、いいんだろうね。いいと思わなくちゃ。人間というのは、自分をどうしても肯定したいんだから、自分がどんなにヘタだろうと何だろうと、いいと思うのが正しいですよ。
早川 間違えるのは、ありのままの自分ですものね。
渋谷 まずはそこからです。あのね、ヘタな方がいいんだという、その理屈をもうずっと前から考えているんだけど、うまくいかない。なぜかっていうと、自分の中に、うまい方がいいっていうのがあるんだね。理論的には間違いがないと思ってもね。だから理論が完成しないわけです。
早川 僕は、この人歌上手だなと思った瞬間にもう駄目だと思っちゃう。うまい演奏している人を見ると、はいわかりましたとなって、全然つまんなくなるわけ。うまさを感じさせるというのは、へた以上にみっともないことだと思っちゃう。でも、自分は間違いたくない、間違いたくないとやってる。
渋谷 それは誰だってそうです。 渋谷 みんな一人一人リズムっていうのは違っていてね。違うのが当たり前なんです。まあ、あんまり違っちゃうと一緒に出来なくなっちゃうけど。違わなくちゃ音楽じゃないんです。合わないから音楽になるという理屈があるんです。オーケストラなんか指揮者がちゃんと合わせて、合わせてみたいにやるけれど、それでも合わないから美しく聴こえてくるわけで、音がぴったり合っちゃったら美しくないわけですから。
早川 僕は歌っているとき、自分の中の世界というか描写する、一つの風景があるわけなんだけど。渋谷さんが音を出すと、別な世界、もう一つの絵が見えてくるわけ、すると、そっちの風景の方がいいなと思えてきて、追っかけたくなっちゃう。僕の歌が邪魔している気がして、申し訳なくなってしまう。
渋谷 音楽っていうのは、そういうのの延長線みたいなものでね。二人でやったり、人数が多いほうが分かりやすいけど、いつもと違う音楽が生まれる。いつもやってる音楽と全然違う音楽がどっかで聴こえてくる。今やってる音楽はあるんだけど、それとは別なものが生まれる。今聴いている音楽と、聴いている自分との間に、なんか別なものができる。僕はそれを音楽っていうのじゃないのかなと思うんだよね。