書評 1
伝えたいこと、それが原点朝日新聞掲載 2003年4月27日谷川晃一[著] 絵はだれでも描ける (生活人新書・640円)
梅田卓夫[著] 中高年のための文章読本 (ちくま学芸文庫・1000円)
山口瞳[著] 嵐山光三郎[編] 山口瞳「男性自身」傑作選 熟年篇 (新潮文庫・514円)
かつて、ある美大の学園祭で歌った時、学生から「芸術とは何か」と問われ、恥ずかしげもなく「感動」と答えてしまったが、白洲正子は「何もない空に浮かび上がる、芸術とはそういうもの」と言っている。えらい違いだ。
『絵はだれでも描ける』は、うまいへたを気にせず、思ったままを描けばいいのだと教えてくれる。僕の場合、絵ではなく歌であるが、「伝えたいことと、伝えたい人がいれば、歌は生まれてくる」と信じている。最近では、もうひねくれちゃって、「歌えるなら歌う必要はない。歌えないから歌うのだ」とさえ思っているくらいだ。
実はまだ、僕は名画を見たことがない。そのかわり、たとえば近所の子供から「チャコちゃんへ」って、うちの犬の似顔画をもらったりすると、じーんと来てしまう。技術がなくとも、心は形になるのだ。
「描くことはもう一度愛すること、もう一度生きること、もう一度見ること」というヘンリー・ミラーの言葉が印象的だった。
『中高年のための文章読本』は「①自分にしか書けないことを②だれにもわかるように書く」というのがテーマだ。その逆は駄目なのである。
「<よい文章>が書かれたときには、書き手にとっても<発見>のよろこびがあるものです」と言う。つまり、わかっているから書くのではなく、わからないから書くのだ。自分の声以外のものを引き出すために。人生と同じである。
『山口瞳「男性自身」傑作選 熟年篇』は「これが好き」「これが嫌い」が面白い。これなら誰でも文章が書ける。箇条書きでいいのだ。たとえば、「そら豆を上手に茹でてくれる小料理屋」が好きで、「舟に乗って出てくる刺身盛合せ」が嫌い。それだけで、山口瞳の人柄やものの考え方まで見えてくる。
好きな理由は、美しいからだ。正しいからだ。僕も同じものを求めているつもりだが、ついふしだらな方にも目がいってしまうし、なおかつ、礼儀知らずだから、とても著者には近寄れないが、著者の根本思想、「どの国が攻めてくるのか私は知らないが、もし、こういう国を攻め滅ぼそうとする国が存在するならば、そういう世界は生きるに値しないと考える」には、まったく同感である。