Book

ホーム  自己紹介  ライブ  日記  エッセイ  書評  コラム  写真

前ページ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 次ページ


書評 18

自分の中にあるから発見できる

妙本寺の猫


朝日新聞掲載 2005年4月17日

白洲正子[著] おとこ友達との会話 (新潮文庫・500円)
車谷長吉[著] 錢金について (朝日文庫・819円)
藤原正彦・小川洋子[著] 世にも美しい数学入門 (ちくまプリマー新書・798円)


 『おとこ友達との会話』は赤瀬川原平を始め9人の方たちとの対談集である。利休、骨董、お能、神の存在などについて語り合うのだが、たびたび、小林秀雄、青山二郎が登場してくる。
 「青山二郎さんがね、発見っていうのは、自分の中に既にあるから発見できるんだと言ってるの」。発見というのは、自分を発見することだったのだ。
 大学で教えることになった小林秀雄が専門のフランス文学ではなくて、一番知らない日本の歴史を教えることになった話も面白い。知っているから教えるのではなく、自分が学びたいものを教えるのである。
 河合隼雄との対談では「精神的なものが精神を隠してしまう」という言葉が出てくる。これは他の事にもあてはまる。音楽的表現が音楽を隠してしまうのだ。「『目きき』だなんて自分で思ってる人はたいてい『田舎目きき』よ」。対談集というよりも名言集である。
 『錢金(ぜにかね)について』は「文学とは何か」が大きなテーマだ。小説を読む場合もそれを分かった上で読むのと分からないで読むのとでは違いがあると言う。
 「人間の本質は悪であって、その悪を書くのが文学の主題である」「小説一編を書くことは人一人を殺すぐらいの気力がいる」。なんとも暗く重い。しかし、魂に突き刺さるぐらいのものでなければいやされないのである。
 「新潮平成六年八月号に、私は『抜髪』を発表した。その時、白洲正子さまが週刊新潮平成六年七月二十八日号に、車谷長吉さんは神さまに向って言葉を発している。という談話を発表して下さった。私ははッとした。以来、私の中には一つの決意が生れた」という一節に触発され、『抜髪』(新潮文庫『漂流物』所収)を読んだ。すごかった。これが小説なんだと思った。私が伝わって来なければ、私が書く必要はない。私の心以外に何を書く必要性があろうか。
 『世にも美しい数学入門』を読んだ。「三角形の内角の和は180度であるということ自体がもう、素晴らしく美しい」という。「永遠の真理」だからだ。それも「数学者が頭でつくり上げた」のではなくて、「隠れていたものを自分たちが発見した」のだということに、神々しさを感じた。


書評 18
朝日新聞読書面「ポケットから」
前ページ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 次ページ