書評 9
内視鏡で精神を覗くような夢小説
朝日新聞掲載 2004年3月21日赤瀬川原平[著] 睡眠博物誌 夢泥棒 (新風舎文庫・790円)
佐野籐右衛門・小田豊二[著] 櫻よ「花見の作法」から「木のこころ」まで (集英社文庫・600円)
上原隆[著] 喜びは悲しみのあとに (幻冬舎アウトロー文庫・571円)
毎朝、犬と散歩しながら、海岸で桜貝を拾っている。そんな少女じみたこと、興味はなかったはずが、いったん拾い出すと止まらなくなってしまった。子供のころ拾った宝貝や角貝も流れてくる。集めてどうするわけでもない。ただ並べているだけで心が和むのだ。河原で石を売っているつげ義春の『無能の人』やゴミ屋敷の人たちもこんな気持ちなのかも知れない。
朝、本屋の夢で目が覚める。閉店してもう10年近く経つのに、いまだに、棚整理やお客さんの応対をし、家人のミスを叱ったりしている。夢はすでに出来上がっている映画なのだろうか。それとも創作しながら見ているのだろうか。情景や心理が実にリアルだ。もしも、寝ながら書きとめることが出来たら作家になれそうだ。しかし、目が覚めると夢は瞬く間に消えてしまう。もしかしたら、それは消えたのではなく、日常生活の邪魔にならぬよう、過去の記憶と同じように、脳のどこかに蓄積され、ふたをされてしまっただけなのかも知れない。
『夢泥棒』は、そんな夢を記録した奇妙な小説だ。右側の眼と耳が水溜りに浸かってしまい、左側の眼で空を見上げているシーンなど、「おそらく」という言葉を何度も使いながら克明に描写していく。まるで、身体の中に内視鏡を入れて精神を覗いているようであった。
『櫻よ』の小田豊二の聞き書きは、『のり平のパーッといきましょう』(小学館)の時にも感じたが、語り手が目の前で喋りかけてくれる。「まずあかんのが、あの青いビニールかなんかのシート。あれを幹の根元に敷きつめられたら、桜が息が満足にできんようになります。風、通さんですからね。口と鼻にマスクをかけられているようなもんですわ」といった調子である。「満開の桜に恥ずかしくて、人は酒を飲む」らしい。
『喜びは悲しみのあとに』は『友がみな我よりえらく見える日は』の続編だ。様々な困難に立ち向かい、悩み生き抜いてきた人たちの美しさが描かれている。読み終えて、すぐに拍手は出来ない。痛いからだ。本当のことは、言葉にならないのかも知れない。みんな寂しい。心の底に闇を抱えている。でも、自分を見失わなければ、きっといつか「大丈夫だよって」いう声が聴こえてくる。