エッセイ 1
弱さこそが正しいのだ
ハヤカワ文庫「夏のブックパーティー1996」<解説目録>昔から挨拶が苦手であった。近所の人と、ほんの一言挨拶を交わすだけでも、ぎこちなくなってしまう。親しくなれば普通に話せるのだが、情けないことに、目上の人や、憧れている人に会う時など、ひどく緊張してしまう。とくに駄目なのが、大勢の人を前に話をするといったような場合で、これは許していただきたい。
この挨拶が出来ないということが、人とのつきあいや、仕事をかなり左右してきたと思う。女友達が少ないのも、きっとそのせいだし、いわゆる会社勤めが出来ず、細々と本屋を営んだのもそのせいであった。最近は見かけないが、電信柱に貼ってあった「赤面対人恐怖症」のポスターがしばしば僕を呼んでいた。音と人が怖かった。いや、過去の話ではない。いまだにそうである。
本屋のレジに座って、学んだことがある。それは、決して僕だけが気が弱いのではなく、同じように気が弱い人がたくさんいるということだ。たとえば、つり銭を受け取る時に手が震えてしまう人がいる。しかし、それはちっともおかしくなかったし、僕にはかえってステキに思えた。そういう人が居心地のいい店でありたかった。「大丈夫ですよって、手を握りしめたくなってしまう」と妻が言えば、娘も「頑張ってね」と声をかけたくなるらしい。ドキドキしながらHな本を買った人にもだ。(もちろん、その手の本をさわやかに買えるに越したことはないが)
僕たちは、気取った人や威張った人に、もっとも弱さを感じた。自分の弱さを認めるのが強さなのではないだろうか。
僕は今、歌を歌おうとしている。才能はない。技術もない。なおかつ、あがり症だ。その僕がどうして人前で歌おうとしているのか、自分でもよくわからない。日常で言いそびれたことを、非日常の世界で吐き出したいのかも知れない。「弱さが正しいのだ」ということを証明したいのかも知れない。「この世で一番キレイなもの」が何なのかを知りたいのだ。