エッセイ 19
アンケート 証言・1968 昭和43
「団塊パンチ 創刊3号」(飛鳥新社) 2006年11月5日発行
Q1 1968年、あなたはどこでどのような活動をしていましたか?
一九六八年、僕は二十歳でした。大学は二年で中退し、新宿の「風月堂」という喫茶店にばかり通っていました。そのころ「ジャックス」というバンドを組み、レコードも出しましたがパッとせず、仕事はなく(しかし不思議なことに、ラジオで聴いたとかテレビ番組『ヤング720』で観たという話を後になってよく聞きます)、あっけなく解散しました。活動期間は非常に短かったです。不幸なバンドでした。待ちきれないで歌ったということだけがとりえでした。
その後、URCレコードの制作、『季刊フォークリポート』の編集をしましたが、同じ歳の若者がだんだん嫌になり(勝手な言い分ですが)、早くおじいさんになりたいと思い、二十三歳で音楽業界を去りました。
Q2 特に印象に残るエピソードや場所を教えてください。
今年僕は五十九歳ですが、若いころと何も変わっていないことに気づきます。変わったことは姿かたちだけで、基本的なものの考え方、感じ方は何ひとつ変わっていないように思えます。これは実際に歳をとってみなければわからなかったことです。
二十歳前後に影響を受けた本や音楽、友人との語らいがその後の自分を形成してしまう大切な時期だったのです。一九六八年は僕にとってまさにその年でした。
僕の青春はビートルズとつげ義春と風月堂でした。髪を伸ばし(強度の近視を隠す意味もあって)サングラスをかけていましたが、流行を追っているという意識はありませんでした。パンタロンというスソの広がったズボンも趣味ではなかったし、底の高いサンダル靴も履いたことはありません。
多数意見に異を唱えることはたくさんありましたが、人と違うことをやろうとか、人より目立とうとか、個性的でありたいと思っていたわけではありません。むしろ、わけのわからない前衛的なものに胡散臭さやかっこ悪さを感じ、普通であることの素晴らしさを学びました。
Q3 1968年に存在して、現在失われてしまったものとは何でしょうか?
友人です。思い出です。あの時ああすれば良かった、こうすれば良かったと思うことはありますが、いまの僕があるのは、すべて過去のおかげです。あの道を選ばず、この道を選んだのも、すべての選択はあれで良かったのだと思います。
世の中はめまぐるしく変化していますが、中身は何も変わっていません。心が変わっていないからです。一九六八年にあったものはいまもあり、一九六八年になかったものはいまもありません。