Essay

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エッセイ 13

わいせつの方法

早川書店の棚


「本の新聞」第10号 1981.12.25

 ビニール本がさわがれた時、うちも置いてみようかなと思った。評判が悪くなりそうなら、時間制をもうけて、たとえば、夜の八時ぐらいからおそくまで、突如、雑誌棚の一部を全部ビニール本でうずめたら、さぞかしその迫力で売れるのではないかと思った。
 前にも一度、あれはたしか、大書店を見学しに行った帰りに思いついたことがある。同じ土俵の上でごそごそやったって、大型店にかなうわけはないのだから、ならば、大書店では扱おうとしない、扱っていても散らばっている、いわゆるいやらしい本を、あっちのジャンルからこっちのジャンルまで一堂に集めたら、おもしろいのではないかと思った。そしてその中で、本当にみんなに喜ばれる、まじめないやらしい本を選択していったら、専門店としてやっていけるのではないかと思った。
 思うだけですぐ熱はさめる。そこに集まるであろうお客さんが、ナント男ばっかしではないかということに気づいたからである。あのムーッとした、つまり、僕と同じような男とばかり、毎日顔を合わさなければならないとなると、あまりいい感じはしないなと思った。まして、ふざけ半分の中高生が必ず群れをなし、ガサゴソいじくりまわしにくるに決まっているから、こりゃ精神的にもかなり不健康になる。

 僕は、いやらしい本が好きだった。本を好きになったきっかけも、そのせいがたぶんにある。だから昔、うちの店で「あなたが本を好きになったきっかけは何ですか?」というアンケートをした時に、僕は期待したのだ。ところが、誰ひとりとして「いやらしい本に感動をおぼえたから」というような回答をくれた方はいなかった。それはまるで、みんなには(性的関係を持たない)女友だちがいて、僕にはいないような寂しさであった。
 僕の言ういやらしい本とは、もしかしたら、あなたが考えているいやらしい本とは違うかも知れない。しかし、あなたの考えているいやらしい本も、きっと僕は好きであり、そのくらい広い範囲で好きなのだ。もちろん、いやらしい本にも一流と五流がある。しかし、芸術とか猥褻とかいう判断ではない。どちらがいやらしさにすぐれているか、ということである。

 この世の中で一番いやらしいことはなんであろうか、と時々考える。いやらしいものを見に行っても、いやらしいことをしに行っても、たいして、いやらしくないからである。もっと、いやらしいものが他にあるのではないだろうかと思ってしまう。それは、裸になるべきところで裸になっていただけのことだからだ。

 友人の体験談である。伊豆の温泉場に旅行して、ストリップを見に行った時の話だ。きっと、客もまばらだったかも知れない。なんだかつまらないエロ映画をやったあと、やっと一人の女性が舞台に現われた。女はうすいネグリジェを身にまとい、おもむろに下着をとったのである。その取り方も、わざとじらすような(そんな時、別にじらさなくてもいいのだが)へたな演技をしちゃって、見ている方がはずかしくなってくる。もう、はずかしいのはわかったから早くその先を進めて下さいと、こっちは怒りぎみでもある。すると、その女性は舞台の前方に足を投げ出し、なんと言ったかというと、「こんなもの見て、何がおもしろいの?」と、なんかこう説教じみた、さっきまで一緒にふざけていた仲間が急にまじめになったような口調になり、逃げ出したくなるような間(ま)をつくったのである。きっと、友人は答えなかっただろう。それとも、機嫌をそこねぬよう「お願い見せて」という顔をしたかも知れない。今、黙って席を立ったら、捨てゼリフを背中にあびせられるだろうと感じるほど、さっきのへたな演技に似合うすごさをその女性は持っていたのである。
 別にお金を払っているからといって威張るわけではないが、どうしてストリップを仕事にしている女性が、ホレ、見たけりゃ見せてやるよというふうに、ホレホレてな、やけぐそぎみになるのであろうか。はずかしさがあるわけでもないだろうに、いや、やはりプロ意識がないからはずかしいのかも知れない。それをかくすために客をなめるようにしているのかも知れない。そんな時、どうしてオレはこんなところに来てしまったのだろうと思いつつも、一応もう少し見ようか、もしかして次はいいかも知れないからなんて期待するのである。結局、同じ女性が衣装をかえて出てきただけで、笑い話にでもしなければ、おさまりがつかなかったようだ。

 僕も昔、誘惑に負けて何回か行ったことがある。しかし、どうもあのフトンをパタパタしきにきたり、ドタバタしまいにきたり、踊り子がそでに引っこんだまま、なかなか出てこなかったり、出てくる時は突然スッポンポンであったり、誰が好むのか知らないが、女剣劇みたいなものもあったりして、拍手を強要したり、ほこりっぽく便所臭く、そんなわけで、好きなんだけど好きじゃないのである。もっとやりようがあるだろうに、どうせあそこまで見せるのなら、もっとうまい見せ方があるだろうにと思ってしまう。客は見るのが好きで来ているのだから、出演者は、見せるのが好きでなければならないのだ。
 それはストリップに限らず、ピンク業界すべてに言える。なぜにピンクの業界だけ、だまされて当たり前みたいな風潮があるのだろうか。エロ本を作る人間もそうだ。こんな程度でよかんべみたいなものが多い。別に僕は、性解放を叫んでいるのではない。こそこそと夢の世界を描いてもらいたいだけなのだ。
 言い古されたたとえかも知れないが、昔よく、「もっとマジメにやれ」と踊り子に声をかけた客がいるというが、そのマジメとは、あらためていうまでもなく、いやらしいこともマジメにやってもらいたいという意味なのである。


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