Essay

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エッセイ 18

いごこち

いらっしゃいませ


「ヴューザワーク」1992年4月号

 本屋を真剣にやめようと思ったことがある。店を貸すか売るかすれば、なんとかやっていけそうな見通しがついたからだ。
 やめて何をしようか、何も思いつかなかったが、とにかくやめようと思った。そのくらいやめたかった。しばらくボーッとしていれば、そのうち何か出てくるだろう。何もしないと、急に老け込んだり犯罪者になってしまいそうな気もしたが、閉店日を決め、挨拶文を考え、棚の本を徐々に減らし、やめる準備を着々と進めていった。

 やり方がまずかったのだろう。考え方がいけなかったのかも知れない。それとも、性格なのだろうか。月のうち半分以上楽しくなかった。うまくいかないことや嫌なことが解決されないままだった。ずうっと忙しかった。何かが犠牲になって商売が成り立っているように感じた。人と接するのが苦手で、つくづく商売が向いてないなと思った。きっかけさえあれば、いつでもやめようと思っていた。
 父が死んで、ひとりっきりになってしまった母と、一緒に住もうかなと考えたのがいわばきっかけだった。でも、親孝行をしたい気持ちと店を続けるかどうかは別問題で、他に兄弟もいたから、その結論は出さなかった。
 そろそろ、店に「閉店」のポスターを貼らねばならない。本当にやめるんだなと思ったら、ちょっと悲しくなった。あんなにやめたがっていたのに、いざやめるとなると妙に感傷的になる。腹を立てたことや、少しは楽しかったことや、いろんなお客さんの顔が浮かぶ。やめてのんびり出来るだろうか。わずらわしさから逃れても、また、別なわずらわしさがやって来るのではないだろうか。

 そんなある日、外出先から、夜、店に戻った僕は、何故かホッとしている自分を発見したのである。開店してから十八年、何ひとつ改装していない、この何でもない店の色合いや、空間や、早川書店という匂いや、流れてくる音楽が、今の自分にぴったりしているような気がした。いままで、いごこちが悪いとばかり思っていた自分の店が、もしかすると、他の場所よりいいのではないかと思った。
 その日は、母親の家と、昔、行ったことのある喫茶店に行ってきた。やめたら、さぞかし暇でこんな寄り道をするだろうななんて思ったのだが、全然面白くなかった。
 考えてみれば、お酒を飲むのも食事をするのも、たとえば、映画を観るのも(恋人がいたら別だけど)、僕は外に出かけていくより(家庭を持ってからは)、家の方がまるで落ち着くのだ。買い物は好きだけど、(海とか山とか広々としたところは別にして)他人の場所で、長時間落ち着けるところを僕は知らない。会社員になれなかったのもそのせいだ。

 人間よりも本にかこまれたいがために本屋を始めたつもりが、売る側に立つと、本屋は電車の中みたいで、人間にかこまれてしまうのであった。しかし、夜こうして、二、三人のお客さんがいる店内のレジに坐って、頬杖でもついていると、ここが自分の部屋なんだなと思えてくる。けっしてひとりぽっちではなく、かといって話をしなければならないわけでもなく。一日のうち、ほんの数時間だけど、僕が落ち着ける場所はここしかないのではないかと思った。それを今、自分から取り上げてはいけないなと思った。そう思ったら少し元気になった。
 この仕事が自分には向いてないと思う。しかし、何が向いているかといえば何もない。いごこちのよさそうなところが、他にありそうな気がするのだが、どこにもない。  


エッセイ 18
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