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エッセイ 15

立ち読みについて

早川書店 本日の新刊


「本の新聞」第21号 1982.11.25

 これから書くことは、立ち読みがいいとか悪いとかいう話ではない。それは、悪いに決まっているのだ。その決まっていることを、あえて言わねばならないことに腹立たしさがある。
 ましてや、立ち読みはこのように恥しい行為なのだ、ということを、なんとか立証させることができても、これを読んでくれる人は、本来はじめから読む必要のない人だし、読んで、ぜひとも反省してもらいたい人は、まず、読みはしないだろうということが、書く気力を失わせる原因にもなっている。
 言ったところで、何も変わらない。かえってマイナスであろう。しかし、僕は書こうと思う。もう一度リングに上がろうと思う。立ち読みは、僕に与えられた唯一のテーマのような気がするのだ。

 話始める前に、立ち読みという言葉の定義から始めねばならない。なにせ立ち読みという言葉は、むずかしすぎて『広辞苑』にも載ってないくらいなのだ。
 僕の言う立ち読みとは、いわゆる通常のお客さんが普段しているような立ち読みを指しているのではない。つまり、なにかおもしろい本ないかなという感じで本屋に入り、これどういうのかなといって、ところどころ、ちょっと拾い読みするような立ち読みを指しているのではない。たとえ、その本を買わずとも、それは立ち読みとは言わない。
 僕の言う立ち読みとは、買う気などさらさらないのに本屋へ入り、ただで、そっくり、まるごと読んでしまおうという魂胆の持ち主の人のことを言う。
 「えっ、そういう人っているの?」と言われればいるのである。「でも、買う気なのか、買わない気なのか、区別できるのかな?」と言われれば、できるのである。(その点については、こんなところで威張ってもしょうがないが、プロになってしまったくらいだ)。だって、買う気があるなら、その本をこの場所で最後まで読みはしない。だいたい、買わない人に限って態度がわるい。買う人や買う気のある人というのは、本と本屋を大事にする。これは、実に正比例している。
 まあ、人数としては、それほど多いわけではない。ちょうど、電車の中の一車両に一人か二人、二人分の席を占領してしまう大股びらきの人がよくいるけれど、そのぐらいの割合である。もしくは、ウォークマンで(それ自体は悪くないが)、シャカシャカと音が外にもれていることに気づいてない人ぐらいの割合である。
 でも、そういう人っていうのは、どこの場所にもいて、別に本屋に限ったわけではないし、商売をしている以上、しかたがないことなのではないかと言われるかも知れない。たしかに、マナーの問題とすれば、喫茶店にも映画館にも飲み屋にもおかしなのはいる。しかし、飲み屋でぐだぐた言う人だって、映画館で帽子をとらない人だって、喫茶店でコーヒーのクリームを標準以上に入れてしまう人だって、みなそれなりに代金を払った上でのことなのだ。

 先日もこんなことがあった。その日はちょうど町内のお祭りの日で、となりの空き地に神酒所が立ち、子供がでたらめに打つ太鼓の音を僕は一日中じいっと聞いていたのだった。
 もともと、僕は祭り事が好きでなく、とくに、粋なかっこうで神輿をかつぐあの大人たちの、あのかけ声を聞くと、なぜか鳥肌が立ってくるくらいで(もちろん、これは僕個人の問題だから、それについてどうのこうのというつもりはないが)、うちの店の前で、みなが一休みし、お酒を飲んでいる時も、僕は何事もないように中で仕事をしていたのだった。
 すると、酒を飲み終えた赤ら顔の男が一人、威勢よく店に入ってきて、(酒が入っているからなのか、それとも照れくさいのを照れくさくないようにするためか)わざと子供っぽく、大きな声で、「マンガ立ち読みしーよお」と宣言して入ってきたのだ。そして、「『ガクラン八年組』はどこだー」と言いながら、店の中を一周し、マンガの棚を見つけ、一冊とりだし、そばにあった踏み台にちゃっかり坐り、まるでこれから縁台将棋でもするかのような足組みをして読み出したのである。
 僕は唖然とした。最初「マンガ立ち読みしーよお」と言いながら入ってきた時、レジにいるうちのと眼が合い、うちのが少しにっこりしたふうだったので、気まずくなってはいけない商店街の人なのか、それともよく買う人で、ふざけているのかなと思った。
 「何あれ?」と聞くと、「飲んでいるからやめなさい」とうちのが首をふる。たしかに、さっきまでエンヤッウッチャというかけ声で神輿をかついでいたのだから、なにせ血が燃えているのだから、僕がへたに注意でもしたら、「なにお!」とたんかを切り出しそうな気がした。
 しばらくして(もうその男は二冊目を読み出しているのだが)、うちのが「お神輿出ちゃいましたよ」と言いにいったら、「いいのいいの」と言って、三冊目にとりかかったのである。

 例をあげだすときりがないが、もう一ついってみよう。
 それは、雨が降ってない日なのに雨傘を持った男が(これも二十五、六の体格のいい男なのだが)、マンガの棚の前で、うんちんぐスタイルになり、マンガを読み始めたのである。
 その男は最近来るようになり、外の週刊誌から中のSF小説まで、一通り、およそ二時間立ち読みしていく男で、なにせ、本に寄りかかったり、本をまともに戻さなかったりで、機会さえあれば注意しようとねらっていた男であった。
 だから、何冊目かにとりかかった時、うちのが注意したのだった。(いつもうちのが注意して、僕が注意しないふうだが、それは当たっている。男が注意するより、女の方があたりがいいだろうということと、ホントに僕は注意するのが嫌いで、もう爆発寸前という感じが顔に出てしまっている状態なので)
 その時、僕はたまたま倉庫にいた。すると、バタンガタンという音が聞こえてきたので、「あれ?」と思ったが、きっと、お客さんが本を取ろうとして落っことしてしまったのだろうと思い、こういう時、あわてて出ていくのはかえって大げさになるから、そのままにしていたら、ピンポーンとレジから電話が鳴った。
 うちのが真っ青な顔で、「ちょっと怖い」と言う。ふてくされた男が傘をぶらつかせて、店の中をうろついているのだ。
 まさか(そういえば、テレビの音がうるさいといって、中野の方で五人殺された事件があった翌日か翌々日だった気がする)、その男が「俺のことをバカにしやがって」という勝手な動機で、傘の先で刺しはしないだろうかと、一瞬思ったが、ならばこっちだって、喧嘩はできないけれど、できないということは、刺すことはできるんだぞという顔つきでにらみ返した。男は出て行ったが、また、外の週刊誌を読んでいる。さっきの物音は、男が傘か手で棚の本をつっついた音であったのだ。

 なにも、最近一番印象の強い例を持ち出して「ね、すごいでしょ」というふうに話をもっていこういうつもりではない。祭り男や傘男ほどでないにしろ、立ち読みしている人たちの心の中はみな同じだ。「立ち読みして何が悪い!」みな、そう考えている。だから、やんわり注意したって、強く言ったってトボケているのが多いし、「あっすいません」という態度はなく、逆に「かんじ悪い店だな」という顔つきに必ずなる。
 その精神が気に入らない。立ち読みをゆるす風潮が気に入らない。読みたきゃ、買やーいいじゃないかと思う。バカじゃないかと思う。
 一歩ゆずって、僕は小学生ぐらいの子供なら、まだゆるせる。ひどければ、まだ気楽に注意ができるからいい。しかし、中学生、高校生、大人となるともう駄目だ。
 いったい何を勘違いしているのだろう。万引きのように、ものがなくなってしまうのとは違うのだから、いいと思っているのだろうか。最後まで読んだって(せいぜい手垢がつく程度で)、別にへるわけではないのだからいいと思っているのだろうか。へるわけじゃないんだからと言うのなら、風俗はただになってしまう。痴漢は罪にならない。


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