Essay

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エッセイ 30

自分の気持ち自由に

撮影/三田村泰和

中日・東京新聞 2016年6月4日夕刊

 歌声はぐっとためがあって重い。曲の合間にもほとんどしゃべらない。客席から見ると、近寄りがたい。だが、取材先でテーブルを挟むと、すこぶる清潔で明朗な人だった。

 一九六六年のビートルズ来日から今年で五十年。早川義夫さん(68)は、あのとき観客として東京・日本武道館にいた。既に音楽を始めており、やがて自作詞を日本語で歌う先駆的ロックバンド「ジャックス」の中心メンバーとなる。ジャックスは六八年にデビューするが、ヒットに恵まれず一年後に解散。暗く透明感のある歌の評価は、皮肉にも解散後に高まった。

 音楽業界を去り、二十三歳で書店員に転身した。二年修業し、川崎市に「早川書店」を開く。四十畳ほどの、ごく普通の書店。その顛末(てんまつ)は著書『ぼくは本屋のおやじさん』(八二年)に詳しい。

 劇的転身はさらに続く。四十五歳で再び歌いだしたのだ。書店はその流れで閉じた。今はピアノの弾き語りで月に平均二本のライブを全国で続けている。

 ジャックスや書店の話を早川さんは煙たがる。「どうして自分の過去を話したくないのだろう。嫌な思い出がよみがえってくるからかな。過去はどうでもよくて、今輝いているかどうかだけが大切な気がするんだ。俺、今、幸せなわけではないけれどね」

 書店の情景は、畳んだ後も夢に出てくる。「小さな書店は大変だと思うよ。欲しい本はなかなか入ってこない。利益率は低い。おまけに入場無料だからね」

 歌の再開は、恋がきっかけの一つだった。恋をして四十五歳で二十三年ぶりに歌が生まれ始めたが、「ギターは指が痛いから諦めて、ピアノは自己流で和音を押さえるだけ」

 「『この曲どう?』と、妻と次女に『君のために』『君に会いたい』という恋の歌を聞かせた。普通の奥さんなら怒るよね。でも、妻は『いいと思う』と言ってくれた。『私のも作ってよ』と甘えられたから、出会いのころの歌『赤色のワンピース』を作った」

 妻静代さんは大学の同級生で、けんかは一度もない。書店も二人で切り盛りした。だが六十二歳で早川さんが人生初の一人暮らしを望んで別居。女性が部屋を訪ねることもあるらしいが、奥さんはとがめない。

 早川さんのエッセー集『たましいの場所』『生きがいは愛しあうことだけ』『心が見えてくるまで』(二〇〇二〜一五年)は、驚くほど率直に恋と音楽を語って尽きない。

 例えば<いい音楽は、なんてキレイなんだと思う。思わず声が出てしまう。身体が揺れる。ぐんぐん入って来て、うっとりする。悲しい>と。<つまらない歌を歌う人は、たぶん、性もつまらない。ステキな歌を歌っている人は、性もステキだ。上っ面の話ではない。性と同じように、一番深いところが色っぽいか、美しいかである。もちろんセックスはセックスだけではなく、一緒にいて楽しいか、歓(よろこ)び、悲しみを共有できるかだ>と。

 「伝えたいこと、歌いたいことは僕の場合、個人的なことが多いよね。恋も失恋も、そんなことは勝手にやってくれと人に思われることだけど、"人に言えないくらいの本当の気持ち"を表すことができたらいいし、歌ったり書いたりしているうちに、僕が何のために生まれてきたのかがわかるといいな」

 八年前に出たライブ盤「I LOVE HONZI」では、HONZIさん(女性バイオリニスト)への恋心をさく裂させた。佐久間正英さん(ギタリスト)を含めた三人で、ジャックスの「からっぽの世界」も演奏した。二人とも早すぎる故人となった。

 収録曲「父さんへの手紙」に、なぜ歌うのかが描かれている。<自分の中の手に負えぬ部分や行き場のない悲しみや思いを/何一つわかってないけど>、それでも美しいものを求めて歌うのだと。

 ビートルズを聴いて「そうか、何を歌ってもいいんだ、自分の気持ちを自由に歌っていいんだ」と気付いた少年がいた。今もそのまま早川さんの中にいて歌っている。

(写真・文 三田村泰和)