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エッセイ 9

音楽には感動というジャンルしかない

アヒル 2006.2.12


「Rock In Golden Age」Vol.23 2006年3月1日号(講談社)

 音楽を聴いて初めてじんと来たのは中学生の時、日劇「ウェスタン・カーニバル」でした。尾藤イサオが足を痙攣(けいれん)させて歌っている姿に色気を感じました。そのうちビートルズがラジオから流れて来て、愕然(がくぜん)としました。今まで聴いていた音楽とはまったく違う音楽だったからです。心の叫びでした。
 その後も僕はビートルズだけで他はあまり聴いていません。しかしそのビートルズも実はくわしくないんです。曲名も知らない。解散理由も知らない。くわしいということがなんか恥ずかしいんです。わからなくてもいい。知っていることよりも知らないでいることの方が何かを生み出せるような気がするんです。
 ビートルズを知りたくてビートルズを聴いたわけではない。僕は僕を知りたくて音楽を聴いたり、本を読んだり、恋をしたり、人と話したりしているんです。
 ビートルズの曲は歌い出しが好きです。待ちきれないで歌う感じです。途中で拍子が変わるのも好きです。意外な展開なのに奇をてらっていない。新しいのに懐かしい。そんな曲を僕も作りたいがまるで出来ない。しかし、真似をしない真似をされないというのが創作の基本だと思っています。
 では何を歌うべきか。自分の心です。自分にしか言えない言葉、自分にしか出せない音です。日常で喋(しゃべ)れるなら歌にする必要はありません。言葉にできない本当の気持ちを歌に出来たらいいなと思っています。
 一九六八年、僕は二〇歳でした。当時僕は「フォークは希望を歌い、ロックは欲望を歌い、歌謡曲は絶望を歌う」などと発言してきました。しかし、そんなことはどうでもいんです。そんなジャンル分けは人間を色分けするのと同じで、便宜上(べんぎじょう)そう分けているだけです。感動するかしないか、音楽か音楽でないかの違いだけです。
 ロックが一流で歌謡曲が五流というわけではありません。ロックの中に一流と五流があり、歌謡曲の中に一流と五流があるのです。あなたが一流で私が五流なのではない。あなたの中に一流と五流があり、私の中に一流と五流があるのです。
 こうも言える。神様はまさか「私が神様です」とは言わない。美人も詐欺師(さぎし)も自分からは名乗らない。おそらく本当にロックをやっている人は「俺はロックミュージシャンだ」とは言わないでしょう。


エッセイ 9
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