Essay

ホーム  自己紹介  ライブ  日記  エッセイ  書評  コラム  写真

前ページ  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30  次ページ


エッセイ 16

飴置きおばさんの話

早川書店


「本の新聞」第32号 1983.10.25

 ただ見ちゃ悪いからといって、袋づめのあめを置いていくおばさんがいる。
 そのおばさんは、いっつもそうで、百科事典で調べるようなことがらを、たずねたり調べたりするだけで、今までに一度も買ったことがない。その間に、喋るだけ喋って、最後にあめを置いていくのである。

 今回は唄の文句を調べにきた。はじめ「童謡の本あるかしら」というので、(ああまただな)と思いながら、でもしかたなく、野ばら社の『こどものうた』や『童謡唱歌集』などを見せた。しばらくするとレジに寄ってきて、その日は唄い出したのである。
 「一丁目の子供 駆け駆け帰れ 二丁目の子供 泣き泣き逃げた 三丁目……四丁目……」
 まさか唄まで唄い出すとは思わなかったので、僕はあきれてしまった。店のお客さんも一斉に見ている。
 「さとうさんもの知りだから調べてきてよって言われちゃってね。本屋さんに聞けばわかるだろうと思って、お兄さん知ってたら教えてほしいんだけど、詞は与謝野晶子なのよ。一丁目が駆けるだったかしらね。二丁目が……、三丁目はどうだったかしらね……」
 立板に水というのだろうか。とめどなく喋る。おまけにキーが高く、間がない。なんか一人芝居をしている口調なので、ひどくうるさく感じる。

 前回はこうだ。
 「三公社五現業の三公社ってナント何となんでしょ。五現業の……と、……と……はわかってるんだけどあとは何だったかしらね……」
 いつもそうなのだ。あたしはこれだけは知っているけれど、ここだけがわからないのよねーという言い方を必ずする。ここだけを知っているということを、やけに強調するわりには、与謝野晶子じゃなくて野口雨情だったのだが。
 僕は「わかりません」と答える。前でこりたので相手になりたくないのである。それでもおばさんは気にしない。喋る。唄う。
 おばさんの躁と僕の鬱との戦いだ……。そして、いつもの手だ。手さげ袋からあめをとりだし「ただ見ちゃ悪いから」といってレジ台にさっと置く。僕はあわてて「いいです、いらないです」と返そうとするのだが、おばさんはすっと離れてしまい、また本のあったところで調べだすのであった。

 お客さんの中にHさんがいた。Hさんは僕と顔を見合わせ、気持ちわかりますよ、という感じで苦笑いした。僕はいったいどんな顔をすればいいのだろう。
 Hさんはハッとひらめいたらしい。別な棚に置いてあった岩波の『日本童謡集』を持ってきて、<うたいだし索引>のページをひらき、「ほら、ここに載ってますよ」と僕に教えてくれたのである。僕は、別なお客さんと応対中だったのと、(あっどうしよう)という気持ちで、Hさんにはろくなお礼も言えなかった。
 Hさんはやさしくて親切な人だ。しかし、僕は世界一性格が悪い。あっそうか、この本を最初に見せればよかったのか、というふうに素直にはなれなかったのである。僕としては、あのおばさんだけには、たとえ知っていても、話したくない気持ちだった。
 僕がつくづく本屋に向いてないなと思う時は、そんな時だ。

 帰り際、僕はもう一度、これいらないですからといって、あめを返そうとすると、おばさんは「いいの、いいの」と手をふり、笑いながら帰って行った。僕は、そのいやらしい図々しさをゴミバコに捨てた。


エッセイ 16
前ページ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 次ページ