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エッセイ 14

父は僕の本を124冊買った

父と母


「本の新聞」第16号 1982.6.25

 父は僕の本(『ぼくは本屋のおやじさん』)を一二四冊買った。これまで僕は、父に対し感謝のかの字も口にしたことがないので、その本のあとがきに書いたセリフ「まずは、父と母に感謝します」がよほどきいてしまったのかも知れない。
 父がこんなに喜ぶとは思わなかった。結果論ではあるが、数を読み違えてしまった。まず、晶文社の初回刷部数三五〇〇部が少なすぎた。うちが仕入れた冊数一〇〇冊も、その倍でなければならなかった。僕は一〇〇冊あれば、一ヶ月はもつだろうと思ったし、もしも、動きが早ければ、すぐ追加を出せばいいし、と考えていた。
 ところが、書店からの事前注文分が予想を上回ったため、版元在庫なしとなり、朝日新聞の紹介記事で、献本分までなくなってしまったらしい。
 それでもまだ僕は、実際に動き出したわけではないのだから、父から発売前に「五〇冊欲しい」と言われた時も、のんきに「うん、残ったらね」なんて答えていた。父も最初は「残ったら買ってやるよ」という程度だったはずなのだ。
 どうせ父は、兄弟や親戚にただであげるんだから、もらった方も、たぶんしかたなく読むのだろうから、という僕の勝手な憶測で、父の注文は(なにせ親子なんだからというわけで)後回しにしたのだ。だいいち、版元在庫なしとなれば、うちで仕入れた冊数は、大事に一冊一冊売りたいし、ちょっと高いなと思いながらも買ってくれる人がまずは先なのだ。
 それが甘かった。どんな読み方をされようが、どういう買われた方をしようが、父も欲しい人には変わりなかった。「なんか、品切れになりそうだから、でも、増刷するだろうから、少し待ってて」という僕の頼みを父は聞いてくれなかった。
 神田三省堂で五冊、書泉で三冊、稲垣書店で二冊といった調子で買ってしまったのだ。僕は電話で、「だめだよ。そんな買い方したら、おかしいじゃないか。一冊ずつならいいけど」と言った。一冊ずつなら、買うのはたいへんだけど、そういう買い方をするのなら、悪くはないなという気持ちが実は僕にはあった。いずれにしろ、父に「増刷したら、すぐ持っていくから、それまで待っててよ」と伝えたつもりが伝わらなかった。
 父は次の日も買いに行ってしまったのだ。岩本町に住んでいる父は、地元の二六堂でも買い、地下鉄で神保町に出て、またしても同じ店で、三冊とか四冊というふうに買ってしまったのだ。
 僕は怒った。はずかしかった。情けなくなってきた。なぜ待てないのだ、待ってくれるということが愛情ではないかとまで思った。
 女房は「そんな考えこむことないわよ」と言った。母も「お父さんは嬉しいんだから、しょうがないじゃない」と言った。たしかに、故意に買いあさったわけではないのだから、気にすることはないかも知れない。父にしてみれば、早く知り合いに、その本を、まるで自分が書いた本かのように、自慢気に渡したかっただけなのだ。
 晶文社のSさんに伝えた。どう説明してよいか困った。売れ行きが良かったのは一人の人が買っていたなんて、増刷が決定したあとに話す話題ではない。Sさんは「そうですか」と答えた。電話の向こうで、ちょっと肩を落としたように見えた。「いや、これも、すぐ追加を出せなかったこちら側がわるいわけですし……」と言ってくれた。のちには「いや、いい話ですよ」とも言ってくれた。
 きっと何回も読んだのだろう。父はすでに神田界隈の書店で、計二四冊も買ったのに、うちへの注文は、五〇冊から一〇〇冊にすると言ってきた。父の興奮した顔が浮かぶ。
 僕は顔を合わせない方がいいだろうと思って、二刷の一〇〇冊は、晶文社のSさんに届けてもらうことにした。その後、父は一度店へやってきたが、何日かして、高血圧で入院してしまった。興奮するといけないので、僕はまだ見舞いに行ってない。


エッセイ 14
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