エッセイ 7
歌手 高田渡さんを悼む いい歌 歌いつくした
「朝日新聞」夕刊 2005.4.18
訃報を聞く一ヶ月前、渡ちゃんから電話があった。「久しぶりに声を聴きたくなってね」「えっ、まるで恋人みたいじゃない」と、いつものように冗談を喋り合った。
1971年、僕らは同じ音楽事務所にいた。渡ちゃんの『ごあいさつ』というレコード制作に僕はスタッフとして加わった。「自転車にのって」「コーヒーブルース」「生活の柄」などが入っているバナナの絵のジャケットだ。コーヒーを飲み、よく喋り、お酒を飲んだ。僕が歌をやめる時も、ふたりで飲んだ。帰り際、「今やめるのは卑怯だ」と怒鳴られた。愛情だったのに「そんなの関係ないだろ」と僕は子どものように言い返し、新宿駅改札口でけんか別れをした。
しかし22年後、再び僕が歌い出した時、渡ちゃんは聴きに来てくれたのだった。のちに同じステージにも立った。歌い終えると僕は汗びっしょりなのに、渡ちゃんは汗ひとつかいていない。負けたと思った。数日後、渡ちゃんから電話があり、家の者が「負けたって言ってましたよ」と答えたら「えっ、何だって、もう一度」と嬉しそうだった。
渡ちゃんから学んだことがある。曲の終わり方がみんなジャーンて音を伸ばすけど、プツンとそっけなく終えた方が余韻が残るのにね。悲しいからってマイナーコードを使うのもねえと常に「いかにも」というのを嫌った。僕は対抗心があったのだろうか、負けじと「貧乏自慢をするのは、金持ち自慢と同じだよ」と皮肉った。
お酒の飲みすぎでステージで眠ってしまうような時期があったらしい。それをみんなが「渡ちゃんらしい」って許していたことが少し気になっていた。いや、そんなことを言いたいのではない。渡ちゃんは分かっていた。みんなの優しさも自分の寂しさも。一人一人が音楽なんだということを。いい歌をいっぱい歌ってくれた。
渡ちゃんは歌いつくした。耳を澄ませばいつだって声が聴こえてくる。僕は悲しくなんかない。