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書評 19

生きていることの意味を考える

江ノ島の猫


朝日新聞掲載 2005年5月29日

川津祐介[著] 三回死んでわかったこと (小学館文庫・500円)
田口ランディ[著] 神様はいますか? (新潮文庫・420円)
藤沢秀行[著] 野垂れ死に (新潮新書・714円)


 「ポケットから」は6週に1度、執筆の順番が回ってくる。2ヶ月以内の文庫新書の新刊の中から面白かった本を3冊取り上げるのだが、自分の好みが極端に狭いため、なかなか見つからない。
 そんな時、淀川長冶著『私はまだかつて嫌いな人に逢ったことがない』(PHP研究所・品切れ)を思い出す。実は読んだことはないのだがタイトルが忘れられない。あれ嫌いこれ嫌いと言わずに、誰をも愛し、何でも面白いと思えれば、どんなに人生は楽しいだろうと思うからである。
 『三回死んでわかったこと』は19歳で自殺未遂。34歳、落差3メートルのコンクリートに頭から落下。59歳、心筋梗塞(こうそく)。魂が肉体から3回離れたという。
 「お父様、今日の肩揉みはここまでとさせて下さい。お父様、お母様、おやすみなさい。明日の朝は朝食は、いりません。……もしかしたら夕食も、結構です。………二、三日、部屋にこもって勉強します」という小説のような書き出しに吸い込まれた。純粋というのは、なんてもろく悲しいのだろうと思った。
 無神論者だった著者はのちに神の存在を知る。最近僕も、人は生きているのではなく生かされているのだと思うようになった。が、まだ「神はおられる」「あの世がある」とまでは思えない。死んだことがないから仕方がない。わからないまま生きていこうと僕は思っている。
 『神様はいますか?』の著者は、「なぜ自分は生きているのだろう?」という疑問を子供の頃から持ち続けた。「生きていることの意味」を自分で考えるおもしろさを知り、問うことが著者を文学の世界へ導いてくれたという。答えをつかんだのではない。わからないからこそ書くのだ。兄の自殺が何だったのかも。
 父親とのいい場面があった。「『おまえ、ずいぶんいろんなこと書いたなあ』小説だけじゃない。エッセイにも父のことを書いている。『ごめんなさい』『でもまあ、しょうがないよ。だって、おまえは俺の娘だからな。娘に書かれたんだからしょうがないさ』 そして、付け足すように言った。『ありがとう。お兄ちゃんも喜んでいると思うぞ』」
 『野垂れ死に』より。「碁は芸なのだと私は思う。芸に勝ち負けはない。素晴らしいか拙(つたな)いか、人の心を動かすかどうか、という格の違いは出てくるけれど」


書評 19
朝日新聞読書面「ポケットから」
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