書評 6
目線と息遣い、伝わる言葉がいい
朝日新聞掲載 2003年11月9日司馬遼太郎[著] 司馬遼太郎全講演[1]1964-1974 (朝日文庫・660円)
養老孟司[著] まともな人 (中公新書・700円)
吉野弘[著] 二人が睦まじくいるためには (童話屋の詩文庫・1250円)
書き言葉と話し言葉は、スタジオ録音とライブ録音の違いみたいだ。いずれにしろ、目線と息遣いが伝わってくる方がいい。小林秀雄は、かつて講演で「批評トハ無私ヲ得ル道デアル」という自身の言葉についてこう語っている。
「自己を主張しているやつは、みんな狂的です。そういう人は、自己の主張するものがなんか傷つけられると人を傷つけます。僕をほんとにわかってくれる時は、僕は無私になる時です」「僕は人に聞かそうと思ったって僕はあらわれるもんじゃないんだ。君の言うことが聞きたいと言った時に、僕は無私になる時に、僕はきっとあらわれるんです」
『司馬遼太郎全講演』は、青空が広がるくらい、明快だ。「私は兵隊に行くときにショックを受けました。まず何のために死ぬのかと思ったら、腹が立ちました。いくら考えても、自分がいま急に引きずり出され、死ぬことがよくわからなかった。自分は死にたくないのです。ところが国家は死ねという。国家とは何だと思いました。死ねというような国家は、国家であるはずがない」
「思想や宗教は、小説と同じようにフィクションであります。つまり、『うそ』であります。神様が天国にいるというのは、やはりうそであります。そして、マルクス・レーニン主義も、うそでありま す。いかなる思想もうそであります」
『まともな人』は『「わかる」ということ』(新潮CD講演)と同様、違う立場の人の気持ちもわかるよう、一元論に陥らぬよう願いをこめて書かれた本だ。
「それにしても唯一神を信じる人たちの間のもめごとには、ほとほと愛想が尽きた。それが私の本音である。唯一神が存在する世界の欠点は、しばしば人間が神を演じることである。自分が『正しい』というからである。そういう人たちには、たとえ唯一神を信じるにしても、真実は神のものだということを思い出させるべきであろう」「いくら自分の信念が正しいと思うにしても、それはたかだか千五百グラムの脳味噌がそう思っているだけのことですよ」
僕は偏屈で、娘の結婚式にも出席しなかったくらいだが、「愚かでいるほうがいい/立派すぎないほうがいい」(「祝婚歌」)と歌う『二人が睦まじくいるためには』をそっと贈ろう。