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書評 2

語れぬ者の声が聴きたい

妙本寺の猫


朝日新聞掲載 2003年6月1日

吉田ルイ子[著] わたしはネコロジスト (中公文庫・590円)
辺見庸[著] 単独発言 私はブッシュの敵である (角川文庫・514円)
曽野綾子[著] アラブの格言 (新潮新書・680円)


 目に見えないものは、信じない方だったのだが、父と母の死後、見えなくとも存在するものがあるということが、ようやくわかってきた。考えてみれば、自分の心だって、目に見えないのだ。
 母が飼っていたチャコという犬は、今僕と暮らしているのだが、嬉しいと目尻を下げて笑うのだ。はじめて、その笑顔を見た時、ああ、チャコの中に母がいるのだと思った。もちろん、心やたましいは一言も喋らないから、勝手にそう思っているだけの話だが。
 かつて「自分の意見」を主張することが正しく、それが個性だと思っていた。怪しいものだ。それより、父は今何を思っているだろうか、母は僕に何を伝えようとしているだろうかが気になる。尊敬していたわけではない。ただ、人は死ぬと、見栄や欲望が消え、完成された人間になったみたいで、二度と逢えぬ人の声が聴きたくなるのだ。もしも、ものを書くなら、歌うなら、もう何も語れぬ人のために歌うことが出来たらと思う。
 『わたしはネコロジスト』は母親の墓参りの帰りに、道端で出あった、子猫の物語と写真集である。「きっと母からの贈り物にちがいない。四ヶ月も保育器に入っていたひ弱な私を、養女としてもらい受け育てた当時の母の苦労を、もしかしたら、いま私にも経験させようとして……」と著者は思う。旅先からも猫に絵葉書を送る。ある日、著者が退院してシエスタしていると、猫が庭から蝉や鳥の羽や蛙の脚などを枕元に等間隔に運んで来るのだ。「早くよくなってねというお見舞いのつもり」らしい。言葉が通じなくても「やさしさ」は通じ合えるのだ。
 『単独発言 私はブッシュの敵である』は、「暴力に本当に対抗できるのは、口から手を入れて心臓をわしづかみにするような言葉と想像力です」や「表現者にとって晴れがましいことというのはぜんぶインチキである」という言葉にドキッとした。自分を含め、恥ずかしい行為をした時は、必ずうぬぼれている。「弱々しい魂」を抱え「オロオロ」している人の方がよっぽどステキだ。
 『アラブの格言』より。「賢い人は見たことを話し、愚か者は聞いたことを話す」「他人のことを詮索するな。さもないと神がおまえのことを詮索する」「他人を信じるな。自分も信じるな」


書評 2
朝日新聞読書面「ポケットから」
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