書評 17音が多すぎる、言葉も多すぎる
朝日新聞掲載 2005年3月6日中島義道[著] 偏食的生き方のすすめ (新潮文庫・460円)
池田晶子[著] メタフィジカル・パンチ 形而上より愛をこめて (文春文庫・570円)
瀬戸内寂聴・山田詠美[著] 小説家の内緒話 (中公文庫・500円)
パソコンに向かう時間が増えたのは、ホームページに日記や写真を更新する楽しみができたからだが、静音性に優れた機種に替えたせいもある。静かだとホッとする。
人の欠点は気づくのに自分の欠点は気づかぬものでと思っていた矢先、友人から「神経質でわがまま」、先輩から「マイペース100%」、家人からは「自己中心的」と言われてしまった。反論の余地はないが、自分としては抑えてきたつもりだからちょっとショックを受けた。
『偏食的生き方のすすめ』の著者は、すごい。ものすごい。商店街の「いらっしゃい! いらっしゃい!」というのべつ幕なしの轟音(ごうおん)に対し、いきなりスピーカーコードを引き抜き「拡声器騒音防止の手引き」と自著『うるさい日本の私』を渡して抗議するのだ。
確かに、駅や街のいたる所、お知らせと宣伝文句とBGMという雑音で溢れ返っている。著者はそのたびにかけあう。しかしどうにもならない。そのうち自ら「わあっ!!」ってわめく。
笑いごとではない。嫌悪はそれだけでは収まらず、仕事上のトラブル、嫌いな食べ物にまで及ぶ。当然、家族ともギクシャクしている。時折「なんで、こう俺は何ごとにも寛大ではないんだろう」と自問する。そんな時ふと静寂が訪れる。
音が多すぎるのだ。言葉が多すぎるのだ。『メタフィジカル・パンチ』の中の「小林秀雄への手紙」を読んでさらにそう思った。
「黙って感じながら生きてゆくこと、その重みに耐えきれなくなったそのときにこそ、私たちは芸術というあれらの表現をもつに至るのではないでしょうか。その限り、哲学もまた芸術の一様式であると言えましょう」
『小説家の内緒話』は「前衛的って、ちょっと田舎臭いですよね」「芸術は色気でしょ」といったふうに、つまりは人間の生き方について語った本である。
『痛快!寂聴仏教塾』(集英社インターナショナル発行、集英社発売)にあった言葉だが「どんな人に会っても、『この人はひょっとしたら観音さまかもしれない』」と思えば、うまく行きますよという教えを僕は守れない。お正月、花火大会の時「悔い改めなさい」というアナウンスにどうしても腹が立ってしまうのだ。