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書評 23

自分を鏡に映してみると

チャコ


朝日新聞掲載 2005年11月20日

リリー・フランキー[著] 美女と野球 (河出文庫・546円)
勢古浩爾[著] ああ、自己嫌悪 (PHP新書・735円)
河野多恵子[著] 小説の秘密をめぐる十二章 (文春文庫・550円)


 リリー・フランキーの小説『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(扶桑社)は本当に感動した。それしか言葉が出てこない。まるで作品がほめられることを遠慮しているかのようだ。
 「泣きすぎて目が腫れてしまった。しばし放心状態。『自分が恥をかくのはいいが、他人に恥をかかせてはいけないという躾(しつけ)だった』というお母さんが素晴らしい」としか日記に記せなかった。
 エッセー集『美女と野球』にも共感した。語尾のイントネーションを上げる気味悪さを指摘したり、一見奥が深そうな見え透いた演技を嫌ったり。いや、それはもしかして、自分の中に同じものがあるから見抜けるのであって、だから自戒しようということなのだ。
 何かを批判したくなっても、そういうお前はどうなんだと鏡に映す。うぬぼれない。人を差別しない、区別はしても。「嵐の夜に沁み込んでくる感覚が好きだ」と言う。いつまでも少年のようだ。飾らない。野心を燃やさない。当たり前だ。オカンのたましいが入っている。「普通って深い。そしてアートだ」と語る。オトンの血も流れている。そう、普通の中にこそ芸術はあるのだ。
 タイトルにひかれ『ああ、自己嫌悪』を読んだら、心が優しくなれた。
 引用されている言葉がいい。「何か、自分の思っている自己評価より高く見られるようなことだったら嫌だけど、出鱈目(でたらめ)なこととか、低く見られることならいいんだってのがこっちの原則なんで」は吉本隆明ほか著『悪人正機』(朝日出版社、新潮文庫)からだ。
 「人とくらべて、相手が自分と同じくらいの能力に見えたら、相手のほうが一段高いと思えばいい。『こいつオレよりできないな』と思う人がいたら、自分だってその人とチョボチョボだと考えるべきなのです」は鷲田小彌太著『コンプレックスに勝つ人、負ける人』(PHP新書)からである。悪口をつつしみ、自分を大切にしよう。
 書けないから言うわけではないが、小説を書くのは作曲するのと同じようにそれほどたいしたことではないのではないだろうか。それよりもよりよく生きていくこと自体が小説であり音楽であると思うのだ。と言いつつ『小説の秘密をめぐる十二章』を読む。「自分ひとりのみの精神に生まれてきたことを書きたいのだ」


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