書評 16
いい文章には血が流れている
朝日新聞掲載 2005年1月23日遠藤周作[編] 友を偲ぶ (知恵の森文庫・650円)
花村萬月[著] 父の文章教室 (集英社新書・714円)
岩井志麻子[著] 東京のオカヤマ人 (講談社文庫・470円)
『友を偲ぶ』は三十二編の追悼文を集めた本である。ふつう追悼文というと、さしさわりのない美辞麗句やそのうち天国で酒でも酌み交わそうみたいな決まり文句を思い浮かべるが、ここに集められたものは違う。まるで対決しているかのように血が流れている。
舟橋聖一のわがままぶりを書いた丹羽文雄。若い作家に嫉妬して文学賞をとらせまいと邪魔をする円地文子を「かわいい」と語る瀬戸内寂聴。五十年来の親友である今東光が川端康成の自殺の理由は「彼の心以外には、誰ひとりわからない」と答えるあたり、すがすがしい。
向田邦子に対する秋山ちえ子。川上宗薫に対する色川武大。手塚治虫における中島梓など、泣けてくるものばかりだった。それは悲しいからではなく、美しく思えたからである。
しかし、追悼文や批評を読んであの人はああいう人なのかと真に受けてはいけない。たまたまその人の目から見た一面に過ぎないし一方的なものでしかない。言葉は自分の心しか語れない。ためしに人の悪口を言ってみよう。鏡に映し出されるのは醜い自分の方である。
『父の文章教室』は幼い頃、父から受けた窮屈な英才教育が書かれている。六歳から岩波文庫の古典などを無理やり読まされたのだ。文章教室というより、学校にも行かず悪さを覚えたという著者の育った環境の方に興味を持った。
最後に父のことを書いた小説「らんはん」が収録されている。それを読んですっきりした。掌編だが小説の持つ力というか凄みがある。もしかして、亡き父上が書いたのではないかと感じた。
『東京のオカヤマ人』は、底知れぬ赤裸々なエッセイ集であるがゆえに、ホラー小説を読んでいるような気分になる。「そりゃまあ、わしじゃて今までで最高に気持ちえかった相手はと聞かれたら、小学校の校庭にあった昇り棒と答えるけどな」ぐらいではすまされない。「私のフェロモンは今まで、好青年や美少年やお金持ちやエリートには効いた例しがないのである。私のフェロモンが引き寄せるのは、ずばり『ヤバい人』ばかりだ」とおっしゃるように、いつのまにか「ヤバい人」の一員になってしまいそうだ。
いい文章は実直だ。言いにくい本音が面白おかしく美しく描かれている。