★2004年5月〜2010年5月までの日記は、『日常で歌うことが何よりもステキ』に収録しました。
★2010年6月〜2011年6月までの日記は、『いやらしさは美しさ』に収録しました。
6月1日(月)
昼寝をすると「もう起きてこなくていいわよ」と言われ、仕事に行くと「当分帰ってこなくていいからね」と言われる。この歳になって家出をすすめられるとは思わなかった。実際、僕も飽きた。もしも独り暮らしができたら、さぞかし楽しいだろうなと思う。僕は20歳で結婚したため独り暮らしの経験がない。それをある女性に話したら「わー、それ、結婚したくない男性条件の一つ。だって、家事を手伝ってくれそうにないもの」「いや、必要とならば、僕は何だってするよ。ただ忙しいんだよ。頭の中ずうっと作曲中だから。いや、それより人生を逆に歩いて行きたいんだ」
どのへんに住むのがよいか尋ねてみた。すると偶然2人から同じ地域を指摘された。「三宿あたりがいい。あるいは東横線沿線かな」と。新見さんは「○○線は、70年代ヒッピー風の服を着ている女性が住んでいて…。○○線は何々、○○線は何々で…」「なるほど。四谷方面は?」「女の子はそちら方向好みません。渋谷新宿は住むには適していない。早川さんの好みの女性がいるのは、やはり田園都市線ですよ」と断言する。路線によって乗客の雰囲気が違うらしい。たしかにそうだ。
東京でライブがあった時、終電を気にすると、僕は打ち上げにも参加できず、せっかくの楽しみが半減。ハプニングなし。前から東京に部屋が欲しかったのだ。仕事部屋と称し、できればそこで曲を生み出し、あわよくば、女の子を誘い。「でも、部屋に入った途端ベッドが丸見えだと警戒されるから、やはり、1LDKじゃなくちゃだめだよね」と佐久間さんに訊くと、「ベッドルームがある方がいやらしいよ。そのまま倒れこむ方が自然だよ」と言われた。
そのあたりのことがどうも想像がつかないが、インターネットで部屋探しを始めた。ピアノが弾けて静かな街…。まず井の頭線の駒場東大前、次に京王線蘆花公園、そして電車を乗り継ぎ、三軒茶屋へ向かった。かつて三軒茶屋の駅前は高速道路が目立ち、あまりいいイメージはなかったのだが、今は世田谷線から田園都市線への連絡通路もオシャレになり、それでいて昔からの町並みも残っていて、なんとなく暮らしやすそうに感じた。ステキな女性ともすれ違った。すれ違っただけで何の意味もないけれど。
隣駅の池尻大橋にも降りてみようと思ったが、その日は疲れたのでそのまま渋谷駅へ出て(人混みにうんざりし)家路に着いた。鎌倉に着くとほっとする。しかし昔ほどではない。昔はホームに降りた瞬間、海の匂いがしたような気がする。小学生のころは、布団に入ると波の音が聞こえ、朝は鳥の鳴き声で目が覚めた。ところが今は海の香りもしないし、耳を澄ましても波音は聞こえず、海沿いの国道を走る自動車の音がときたま聞こえるだけだ。
チャコがいなくなってからは、海岸にも散歩に行っていないし、海のそばで暮らしている意味がない。面白いと思うものがどんどん少なくなってきている。ほとんど家の中にいる。テレビも見ない。誰かがピンポンと鳴らしても出ない。家の電話には出ない。もしも東京で暮らすようになったら、きっと今とは違う明るい生活が僕を待っているのではないだろうか。
まだ完成されていないけれど、ピアノ可の賃貸マンションが池尻大橋にあるのを知り、外観だけでも見たいと思い出かけた。出口を間違え道に迷ったが、北口からの目黒川緑道は気に入った。ちょうど桜の季節。小川には鯉が泳ぎ、カルガモが遊んでいる。色とりどりの花が咲き、犬と散歩している人と出会う。時間がゆったりと流れている。渋谷から一駅のところに、こんな静かな場所があるとは知らなかった。代々木公園や新宿御苑の近くもいいなと思ったが、こういう小さな遊歩道があれば僕は十分だ。
マンションは工事中で中へは入れず、結局答えの出ぬまま帰ろうとしたが、すぐ隣の大きな立派なマンションの歩道を何度も往復している人が気になった。もしかすると不動産関係の人かも知れないと思い、「あのー」と声をかけると、その分譲マンションの係だという。「1LDKの部屋ありますか」と尋ねると、まだ残っているという。案内してもらった。最初に7階の1LDKを見せてもらったが、今一つピンとこない。次に1階のスタジオタイプを案内された。「ここだ!」と思った。これは何かの縁だと思った。天井の高さが3メートル。ビル全体が斜面に建っているため、1階なのだが地下にあたる。たしかに昼間でも電気をつけないと多少暗いかも知れないが窓は前面に大きくあり、カーテンがなくても外からは絶対に誰からも見られないという。隠れ家的存在だ。
建物は完成して1年経過、241戸の内20戸売れ残っていて、この部屋がこのマンションの中で一番小さく一番安い部屋らしい。玄関の扉を開けると人を感知し明かりが灯る。最新の設備、それでいてシンプル。何かの事情で人に貸す場合、この部屋ならいくらいくらで貸せます、投資としても資産価値があるとのこと。購入代金の半分を自己資金、半分を借り入れ、さっそくローンの試算をしてもらった。そして次回は何の書類を持ってきたらよいか説明を受け、意気揚々として帰って行った。その日から、僕はわくわくし、間取り図にIKEAで選んだ家具を配置したりして遊んだ。
ところが、銀行からの融資を受けることはできなかった。理由は年収より債務(鎌倉の住宅ローン)の方が多いからとのこと。税理士に報告すると、「おかしいですね。すると購入するところの担保物件は借入金額より価値がないということになってしまいますよね」と不思議がる。銀行は昨年の暮れあたりから、個人事業主へのローン審査がかなり厳しくなっているらしい。本屋時代から僕はお金は人まかせで、その代わり地道に働き贅沢もしなかったから、これまでお金に困ったということがないため、銀行から借りられなかったことが結構ショックだった。失格の烙印を押されたような、試験に落ちたような気分になった。
では今度は、金利は多少高いですが「フラット35」を申し込みましょうと担当者が提案してきた。よくわからないまま、「はい」と答えたものの、また申込書に実印を押しに行かなくてはならない。日にちを決めた(そこまではよかったが)数時間後、再び電話があり、今回は申込みの前に、まず手付金を振り込み、いったん契約書を交わしてからでないと申し込めないんです。もし万が一断られた場合は手付金はお返ししますと言う。なんだか厭になってしまった。もしかするとまた屈辱感を味わうのではないかと思った。縁があると思ったけれど、実は縁がなかったのではないか、死んだ父が「よしお、やめときなさい」と言っているのではないかと思えてきた。
担当者に断りを入れた。すると「承知しました」のあと、「購入された方たちの中には、2度、3度銀行より減額や否決の回答の中、融資して頂ける金融機関を見つけ、今お暮らしになっている方が何人もいらっしゃるので、『試験に落ちた気持ち』になられる必要はまったくございません。(私の案内がご説明不足でした)」という返事をもらった。自分は返済可能と思っていたが(賃貸より月々の返済額の方が安い)、銀行は、僕の細々とした不動産収入など不安定だからゼロとみなし、セカンドローンが下りなかったのだろう。人から貧しく思われてもかまわない性質(たち)だが、こんなところにプライドがあるとは気づかなかった。
数日後、気を取り直し、最初に気になった新築の賃貸物件を内覧した。愕然とした。決して安い賃料ではないのに、あのマンションと比べると(細か〜いことだが)ひどく貧弱に思えた。「一度美味しいものを食べたら、もうまずいものは食べられない。いい女性を知ったら、変な女とは付き合えない」と娘に話したら、「パパ、いい女と付き合ったことあるの?」と突っ込まれ返事に困った。
あそこは僕好みだった。あきらめずにもっと粘れば良かったかも知れない。しかし、結局は身分不相応だったのだろう。未練がましく電話で様子を伺うと、別な人がすぐに購入を決め、契約日も決まったあとだった。そんな経緯を新見さんに話すと、「そりゃあ、どこかで折り合いをつけなくちゃだめですよ。高いところはいいに決まっているし。東京での仕事がそう頻繁にあるわけではないですから、ビジネスホテルを利用する手もありますよね」「そうだね。車を持つより、タクシーを使った方が経済的なようにね」
五郎ちゃんの言葉(同じように奥さんに追い出されたから?実感がこもっている)を思い出した。「独り暮らし、寂しいよー」。そうだねー。好きな女の子が遊びに来てくれるとは限らないし。「新見さんがホテルを利用した方がいいってさ」と伝えると、しいこは「ホテルじゃ困るんです。せっかく出ていってくれるチャンスだったのに。ついでに女の人もお願いします」と新見さんに訴えた。新見さんは「いえ、私はそっちの方は駄目なんです」と断った。