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チャコと黒鳥


第2回 サルビアの花


 「サルビアの花」がヒットしたのは (といっても一塁打ぐらいだと思うが) 、昔、もとまろという人たちが歌ってくれたおかげであった。しかし、その時すでに僕は歌をやめていて、その後、音楽の世界を離れていたから、どういういきさつだっのか、歌っている人の声も顔も知らなかった。いや、歌声は、どこからか流れてきたのを耳にした記憶はあるが、いずれにしろ、お会いしたことはなかった。
 それが2003年の暮れ、松本圭子さんがライブを聴きに来てくれたのだ。それをアンケートで知った。「はじめまして。18才の頃、『もとまろ』というグループを組んで『サルビアの花』を歌わせていただいていました。初めて生の本物のサルビアを聞いて頭をガーンとなぐられた様な気がしました」と書かれてあった。
 僕はお礼が言いたくてすぐに葉書を出した。丁寧な返事が届いた。何でも、テレビの勝ち抜き歌合戦に出場して、「サルビアの花」を歌って優勝したのがきっかけだったらしい。「レコードを出して暫くして、『早川さんが怒っていらっしゃる』という話をどこからか聞かされ、私達3人も勝手に歌ってしまった事に心苦しい思いでした。いつかは早川さんにお詫びをしなければ……とずーーっと思っていました」とあり、僕はあわてた。なにしろ、本屋を開く時に「サルビアの花」の印税がとても役に立ったからだ。お金のことだけではない。「何よりも多くの人に歌が伝わったことを感謝しています」ということを、30数年経った今、やっと伝えることが出来た。

 まったく、人のうわさだとか、誰かが誰かのことを、こうらしいよ、ああらしいよと言っているのは、いかに、いいかげんなものかである。
 そういえば、最近、昔の仲間と久しぶりに会った時もびっくりした。彼は音楽業界の人で、なおかつ、学年こそ違うけど同じ学校だった。もっとも僕は同窓会やクラス会に一度も出席したことはないが。その彼の第一声が「離婚したんだって」と言う。「えっ、してないよ」「あれ、二回ぐらい離婚したって、何人からも聞いたよ」と、真面目な顔で言うのだ。
 どこから、そういう話が流れて来るのだろう。これも、いいかげんなものだ。そういえば、かつて『花のような一瞬』というアルバムを出した時も、音楽雑誌で取り上げてくれたのはいいが、その紹介文に「夫婦愛のなんとか……」と書かれてあったので、そうじゃないんだけどなー、と突っ込みたかった。
 もちろん、どう受け取ろうが、どう思おうが、何を書こうが勝手ではある。いろんなふうに解釈されることは、かえって作者冥利かも知れない。僕も人のことを言う。たとえば、「スケベな五郎ちゃんが……」と書いたとする。しかし、それを読んで、ああ、五郎ちゃんてそういう人なのかと思ってはいけない。スケベなのは僕だ。

 AさんがBさんのことを語っても、それは、Bさんのことではない。Aさんは気づかないかも知れないけれど、実は、Bさんという鏡に映ったAさん自身の姿なのだ。
 「ビートルズ入門」を読んでビートルズがわかるはずはないように、「フロイト入門」を読んでフロイトがわかった気になってはいけないように。新聞や雑誌やインターネットの中での書き込みもそうだ。褒め言葉も悪口もうのみにしてはいけない。批評も評論も評伝もインタビュー記事も追悼記もそれらはすべて、書かれた人のことではなく、書いた人の作品なのだ。
 よく知っている分野については、「それは違う」と判断できるけれど、知らない分野については、つい「そうなのか」と信じがちだ。美味しいお店や温泉紹介もあてにならない場合がある。たとえば、あなたの一番身近にいる親や兄弟や友だちが、あなたについて何か語った時、本当に当たっているだろうか。ましてや、見知らぬ人があなたのことをわかるわけがない。自分でさえ自分をわからないのに。
 このことについて、「批評家は何を生み出しているのでしょうか」という歌まで僕は作ってしまった。しかし、まだ言い足りなくて繰り返している。「知る者は言わず、言う者は知らず」という老子の言葉で十分なのに。

2004.6.16

2002.9.14 福岡大名MKホール控室、鏡の前、SONY DSC-F55Vで撮影。


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