12月21日(月)
『若松英輔エッセイ集 悲しみの秘義』(ナナロク社)より。
この数年来、春になると想い出す一文がある。むしろ、その言葉に心が領されるとき、春を感じる。石牟礼道子 の「花の文 を―寄る辺なき魂の祈り」(「中央公論」二〇一三年一月号)である。
そこで石牟礼は、坂本きよ子という水俣病で亡くなった女性を語った。きよ子の母親から聞いた言葉として彼女は、次のように書いている。文中の「たまがって」は、驚いて、ということを意味する九州の方言だ。少し長いがそのまま引用したい。できれば、声に出して、ゆっくり読んで頂きたい。一度でなく二度、読んで頂きたい。
きよ子は手も足もよじれてきて、手足が縄のようによじれて、わが身を縛っておりましたが、見るのも辛うして。
それがあなた、死にました年でしたが、桜の花の散ります頃に。私がちょっと留守をしとりましたら、縁側に転げ出て、縁から落ちて、地面に這うとりましたですよ。たまがって駆け寄りましたら、かなわん指で、桜の花びらば拾おうとしよりましたです。曲がった指で地面ににじりつけて、肘 から血ぃ出して、
「おかしゃん、はなば」ちゅうて、花びらば指すとですもんね。花もあなた、かわいそうに、地面ににじりつけられて。
何の恨みも言わじゃった嫁入り前の娘が、たった一枚の桜の花びらば拾うのが、望みでした。それであなたにお願いですが、文 ば、チッソの方々に、書いて下さいませんか。いや、世間の方々に。桜の時期に、花びらば一枚、きよ子のかわりに、拾うてやっては下さいませんでしょうか。花の供養に。12月16日(水)
amazonに注文していた本、鹿子裕文『へろへろ 雑誌「ヨレヨレ」と「宅老所よりあい」の人々』(ナナロク社)を受け取り、トイレで読む。続けて、お風呂に持って行き、半身浴で第3章まで読む。身体を洗ったあと、再び半身浴で(これまで僕は半身浴の習慣などなかったのだが)第4章まで読みふける。上がってからも、すぐに続きを読みたくて、椅子に座り(いつもならベッドに横たわりながらなのだが)最後まで読んでしまった。面白いのだ。すごく面白い。 12月11日(金)
夕方、お酒を飲みながら夕飯を食べると、8時、9時には眠くなってしまう。すると必ず夜中に目が覚める。夜明けだったらいいのだが、11時30分だったり、2時14分だったりする。再度、寝ようと試みるが寝付けず、読みかけの本を読む。昨日は『佐野洋子追悼総特集』(河出書房新社)を読んだ。
数ヶ月前から、軽い鬱状態、悪化するといけないので精神安定剤を飲み続けている。ものごとを暗く考え思ったことを率直に言えず(あるいは言いすぎてしまい)、いつまでもくよくよする。昔、心配事があると母は僕に、「なるようにしかならないから」と慰めた。そう思うと少しだけ楽になる。12月5日(土)
婆やに茶碗蒸しを作ってもらった。僕が好きな汁気が多いやつだ。しかし、婆やは鶏肉が嫌いだからといって食べない。食べるものも飲むものも違う。「伊豆に引っ越そうか」「温泉に行こうよ」と誘っても、「女と行ってくればいいじゃない」とあっさり拒否される。どうしてこんなに趣味が合わない女と結婚してしまったのだろう。
「騙された」
「私も騙された。佐久間さんにも言われたじゃない、悪い意味で子どものような人って。感性だけが好きで結婚したけれど、男として最低、人として最低」
「あー、人生やり直したい」
「やり直してもあなたは同じだよ。私は違う。もっとお金持ちと結婚するから」12月1日(火)
◎末井昭「結婚」
◎篠原勝之「骨風」(文學界平成二十五年七月号/文藝春秋)
◎水木しげる『水木サンの幸福論』(日本経済新聞社/角川文庫)
幸福の七カ条
第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
第二条 しないではいられないことをし続けなさい。
第三条 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。
第四条 好きの力を信じる。
第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
第六条 怠け者になりなさい。
第七条 目に見えない世界を信じる。