Diary 2014

ホーム  自己紹介  ライブ  日記  エッセイ  書評  コラム  写真

12月  2014年1月  2月  3月  4月  5月  6月  7月  8月  9月  10月  11月  12月

バルテュス展、ポストカード

7月26日(土)


神保町試聴室のライブで、初めて「嘲笑」(作詞北野武・作曲玉置浩二)を歌った。何度も練習したがむずかしかった。まるで自分が作ったかのように、自分の歌として歌えるようになるまでどのくらいかかるだろうか。

7月13日(日)


金沢もっきりやへ向かった。2011年に佐久間正英さんと来て以来だ。トイレの壁には2007年にHONZIと来た時のチラシも貼ってある。マスターの平賀さんが選曲するBGMはいつもうっとりする。BGMはその日の演奏と全然別なタイプが良い。それでいて、深いところでつながっているような音楽がいい。あるいは無音がいい。

7月12日(土)


能登は美しかった。能登空港の周りは緑の山。初めて日本海で泳いだ。いかの丸焼、のどぐろ、日本酒「歩」、塩サイダー、ブルーベリーワイン。ライブ会場は、乙脇善仁さん所有のSpace工場。母屋から娘さんが使われているアップライトピアノを運んでくれた。客席にはさまざまな形のテーブルや椅子が並べられ、日本酒、焼酎が用意され、カンパの箱が置いてある。

珠洲市 Space工場

1曲歌うたびに(曲の途中でも)、「イェー」とやたら掛け声がかかった。悲しい歌だって容赦なくかかる。こんなケースは初めてだ。「♪バイバイ」と歌えば、「♪バイバイ」と返ってくる。不思議といい感じであった。事前に、乙脇さんから「カメラのシャッター音、フラッシュは良いですか?」の質問に、「苦手です」と答えたのだが、シャッター音どころではなかった。掛け声は音楽だ。最初は適当に「イェー」って言っているのかなと思っていたら、ちゃんと僕の歌を知っている女の子がいて、アンコールでは「H」や「嫉妬」までリクエストしてくれた。終演後(男性数人が見守る中で)Tシャツの脇腹に「里果ちゃん」とサインをした。

7月1日(火)


ステキな人に誘われ、東京都美術館にバルテュス展を観に行った。美術館に行くのは、もしかして僕は初めてかも知れない。いや、何回かはあるが、もともと好きな作家が少ないというか、探究心がないというか、出不精なのだ。なのに、今回すぐ行く気になったのは、バルテュスの絵が前から気になっていたからである。

21歳、僕は片山健画集『美しい日々』(幻燈社1969年・限定1000部)に出合い、すっかり気に入ってしまった。その後も『エンゼルアワー』(幻燈社1971年)、『迷子の独楽』(北宋社1978年)を求め、当時の絵描きの中で最高だと思っていた。バルテュスの絵を知ったのは、たぶんそのころだと思うが、バルテュスを初めて見た時、あっ、片山健はバルテュスの影響を受けたんだと感じた(もちろん僕の勝手な推測だが)、しかしそれとは関係なく、僕は片山健の絵が好きで、もっともっと続けて描いて欲しいなと思っていたが、のちに作風は変わり、福音館書店から児童向けの絵本を見かけるだけになってしまった。

片山健『美しい日々』より

展覧会はにぎわっていた。「街路」はニューヨーク近代美術館に所蔵されているらしく原画は飾られていなかったが、「ギターのレッスン」や「美しい日々」など、いっぱい観ることが出来た。誰が誰の影響を受けたなんてことは本来どうでもよく、自分の好きなものが繋がっているんだということだけがわかって嬉しかった。観終わったあと、物販フロアーがあった。画集、ポストカード、エコバッグ、ポスター、紅茶、ハチミツ、バルテュスがポラロイドカメラでモデルを撮影した写真集も販売されていた。そこで何を買おうか選んでいる時間も楽しかった。あー、物販ていいものだなと思った。

これまで僕は、ライブ会場でCDや本やカンバッチやTシャツなどを売ることに(作り方次第では利益率が高く出演料より利益になるという話を聞かされたことがあって)、なんだかなーという気持ちになっていたため、ライブはライブだけでいいやと思っていた矢先だったのだ。ところが、何かを観に行って記念に何かを買うということは、お客さんへのサービスでもあり、楽しいことなんだということをやっと知った。

「土曜ワイドラジオ東京・永六輔その新世界」で永さんの声を46年ぶりに聴いた。二十歳のころTBSラジオをよく聴いていたのだ。永さんは昔のように、たくさんは喋らないけれど、心は何も変わらず、何を面白く感じ、何が大切で、何が嫌だねというのが伝わってきて、じーんと来た。twitter「永六輔の名言@名言ナビ」も僕はほとんど共感できる。庶民の味方だ。ずっとずっとお元気でいて欲しい。

映画『偽りなき者』を観た。また観たくなってしまう。決して後味がいいわけではないのだけれど、考えさせられてしまうのだ。映画が終わっても終わっていないのである。一度観ればいいや、一度読めば二度読む気はしない。一度聴けば十分という歌は山ほどあるが、もう一度聴きたい、もう一度読みたい、もう一度観たい、もう一度食べたい、もう一度あの場所に旅したい。もう一度あの人に逢いたい、明日もあの人に逢いたいという人はめったにいない。

6/20は、猪俣史子さんと阿部克己さんの主催でaoiさんと柏崎・うたげ堂、6/21新潟・器で歌ってきた。阿部さんがオープニングアクトで僕の持ち歌を歌ってくれた。「恋に恋して」「あと何日」「犬のように」「悲しい性欲」、北野武作詞・玉置浩二作曲の「嘲笑」も聴かせてくれた。単なるコピーではない。遠藤ミチロウさんの「聖なるかな願い」や「シャンソン」のように、自分の歌になっている。伝えたい気持ちがきちんと伝わってくる。良かった。

6/29は、鎌倉歐林洞で歌った。これまではいつも、佐久間正英さんやHONZIと一緒だったが、初めてのソロだ。ソロは丸裸である。隠すものがない。心細い。何かが足りないと、つい思ってしまう。しかし足りないのではない。落ち着いてちゃんと歌えれば、音の隙間に心を込めることは出来る。短い言葉で多くを語るのがいい。音を削って削って、感情を表すのがいい。

自作自演であれば歌手になれるわけではない。他人の夢物語を聞かされるほど退屈なものはないように、詩も散文も絵も音楽もブログもtwitterも溢れている。特別な人間でもないのに、特別なことのようにメッセージを述べても面白くない。僕は何を歌えばいいのだろう。自分の言葉などない。自分だけの考えなどない。何千年も前から、人類は同じことで悩み、答えを導き出そうとしている。


12月  2014年1月  2月  3月  4月  5月  6月  7月  8月  9月  10月  11月  12月

ホーム  自己紹介  ライブ  日記  エッセイ  書評  コラム  写真