8月19日(火)
二階堂和美さんとトークショーをするために、リブロ池袋本店に向かった。久しぶりに立ち寄る大書店、地下の文芸書棚の間接照明、それを見ただけで「すごいことになっているなー」とため息をつく。と同時に、街の小さな頑張っている本屋さんには頭が下がる思いがした。
1階人文書売場に作られた「復活早川書店」の棚を見る。僕が筑摩書房から選んだ推薦本が並べられ、数点コメントのポップが貼られ、当時の早川書店の写真も飾られている。自分でじっくり見るのは、なんか照れくさく感じて、ざっとしか目を通せなかったが、22年間の本屋時代のつらかった思い出が、全部、ふっとんでしまった。筑摩書房営業局尾竹伸さん、リブロ人文書係白石巧さん、幸恵子さんありがとうございます(期間は8/11〜9/14)。
トークイベントが行われる別館8階池袋コミュニティ・カレッジの控室で、初めて二階堂和美さんとお逢いした。まあ、お美しいこと。にこやかな笑顔。さわやかな風。裏表のない性格。お名前を身近に感じたのはいつだったか、思い出したことがあった。数年前、名古屋のライブハウス「猫と窓ガラス」の店長が僕に聴かせるためにスガダイローさんのCDをかけてくれたのだ。聴こえてくるのは、女性ヴォーカルで「マリアンヌ」と「堕天使ロック」だ。かっこいい。「えー! これ、誰歌っているの?」と尋ねると、その声が二階堂和美さんだった。
ふたりで壇上の椅子に座り、さっそくその話を二階堂さんに持ち出すと、「私、あの時、初めてジャックスの音源を聴かされて、気色悪いなと思ったんです」と言う。なんて正直なのだろう。僕もそう思っているので(もちろん当時、わざと気色悪く作った覚えはないのだけれど)、「確かに、あれは気色悪いです。あれを良しとする人は変態です」と答えた。
佐久間正英さんだって、15、6歳でジャックスの生演奏を聴いて感銘を受けたのだけど、心の中で密かにいいと思っていただけで、当時付き合っていた彼女には、他の洋楽は薦めても、ジャックスの話はいっさいしなかったと言う。もしも、彼女に薦めたら嫌われてしまいそうな気がしたからだと、のちに聞かされたことがある。そのくらい、誰が聴いたって、気色の悪い音楽に間違いはない。しかし、変態の中に純粋さを見つけることは出来るだろうし、純粋の中に不純を見つけることだってある。
これは、僕の好みの問題であるが、僕は多くの人に向けて歌を歌うよりも、祈るように、一人の人に向けて歌っている歌が好きだ。二階堂さんの場合で言えば、「♪必ずまた逢える 懐かしい場所で」と歌う「いのちの記憶」もいいし、「とつとつアイラヴユー」もステキだ。「岬」という歌が一番好きかも知れない。「♪できれば背後から うしろからおねがい 重なる長い影 重なって帆を張って」。なんて美しい表現なのだろう。
『二階堂和美 しゃべったり 書いたり』(2011年・屋上)の中にも共感を持った一節がある。「ここへ辿り着くまでに、人をさんざん振り回した。ひどく傷つけもした。離縁もした。鬼みたいな心になった。そうしてはじめて、自分のバカさ加減を知ることができた。ああ、そういうことだったのか。人間の心ほど、醜く、怖ろしいものはないと聞かされてきたのはこういうことだったのか。まったく自分の心のなんとあてにならないことか。そんなことは百も承知で説かれているのが仏教だったのだ」
これを読んで、吉本隆明『今に生きる親鸞』(講談社+α新書)に繋がっているように感じた。「人間は、善いことをしていると自分が思っているときは、悪いことをしていると思うくらいがちょうどいいというふうになっています。逆に、ちょっと悪いことをしているんじゃないかと思っているときは、だいたい善いことをしていると思ったほうがいいのではないでしょうか」。
親鸞の思想を飲み込めているわけではないけれど、自分なりに解釈すると。善いことをしていると自覚している人に限って、はなはだ、迷惑な場合がある。善いことをしていると意識している人は、それに気づかない。本当に善いことをしている人というのは、善いことをしているという意識がないから、人助けになっている場合がある。自由で自然で謙虚なふるまいが良い。生きているだけで迷惑をかけているのではないかと、おびえているくらいが、善い人間なのである。 トークショーに向けてのふたりのコメント。
二階堂和美さんは、『たましいの場所』という僕の本を書評してくださったことがあり、それ以来、ずっと気になっていて、お礼もちゃんと伝えたいし、いつかお話ししたいと思っていた。今回、リブロと筑摩書房の企画で、僕が30冊ほど選んだフェア「復活早川書店」をすることになり、それにちなんで、二階堂さんと対談させてもらうことになった。このトークが初の共演になる。
二階堂さんの本『しゃべったり書いたり』、CD『にじみ』についてもお話したいし、僕の新しい文庫『生きがいは愛しあうことだけ』の率直な感想も聴けたら嬉しい。なぜなら『たましいの場所』にくらべ、ちょっといやらしい箇所もあるからだ。しかし、音楽のこと、生きてゆくことについて語ろうとすると、僕はどうしてもその部分を避けることは出来ないのである。きっと、わかってくれるに違いない。(早川義夫)
早川さんとは全くこの日が初対面で、どんな感じでお話できるのか、どうも予想がつきません。「たましいの場所」は2010年の秋、とある編集者さんから頂き、『にじみ』というアルバムを作る傍らずっと枕元で読んでいた本です。この本と出会ってなかったら完成させられていなかったかもしれないし、このアルバムタイトルにもなっていなかったかもしれません。
その『にじみ』が発売されリリースツアーが始まった頃、早川さんご本人から別の本と一緒に短いお手紙を頂いたのですが、恐縮しすぎてどうお返事したらよいか思いあぐねているうちにタイミングを逃し、そのままお礼さえ申し上げていないという恐ろしく非礼な私が、どの面さげてお会いしたらよいのかわかりませんが、なんとなく接触を遠ざけようとしてきたこの感じはなんなのだろうと考えてみるに、おそらく、お会いしてとても気があってしまったらどうしようと、ちょっと恐れているのだと思います。(二階堂和美)
8月10日(日)
雨の中、新宿ゴールデン街「裏窓」に向かった。チケットは裏窓の常連のお客さんだけで売り切れてしまったらしい。小さなところだからしょうがない。暑かったせいもあり、非常に疲れた。歌い終わると、抜け殻のように、急に寂しさが襲ってくるせいもあるかも知れない。僕はどこでやっても同じエネルギーを使うので、これだけ疲れるなら、もうちょっと大きいところで歌った方がいいかなと、つい効率面のことを考えてしまった。しかし、聴く側にとっては、間近で見れて、マイクを通さない生声はいいのかも知れない。僕だって本来は、耳元で歌いたいくらいなのだから、また歌わせてもらおう。8月1日(金)
佐久間正英さんのことを思うと、僕はいまだに泣けて来る。まだ生きているような気がするし、もう逢えないのかと思うと涙が止まらない。佐久間さんは本当に僕に優しかった。『生きがいは愛しあうことだけ』(ちくま文庫・8月8日発売)を僕は佐久間正英さんに捧ぐ。特別収録エッセイ=佐久間正英。帯文=斉藤和義。