Diary 2016

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大久保ひかりのうま谷口マルタ正明さん、ユニさんと 2016.2.24(撮影 稲田志野)

2月24日(水)


大久保「ひかりのうま」にてライブ。最近のセットリストからもれてしまっている曲を中心に歌った。それらの曲はたまたま歌っていなかっただけで、愛着がなかったわけではない。曲順を決めるのに、なんとなく流れからはずれてしまっていただけである。僕の作る歌はいつだって社会情勢とは関係なく、どんな時も個人的なことばかりだ。昔々作った恋する歌や失恋の歌やHな歌はすべて今の僕の気持ちと何一つ変わっていない。

「ひかりのうま」オーナーマルタさんは一年前渋谷「ラストワルツ」の店長だった。当時、カウンターの中で働いていた大学生ユニさんを僕は見かけて、「わー可愛いな〜」と思い声をかけたことがあった。ところが、ある日ある人から「ユニさんはマルタさんの彼女よ」と知らされ、びっくり仰天したことがあった。

リハーサルが終わってから、明日からユニさんとネパールに行くという幸せそうなマルタさんとちょっとお話をした。「うらやましいな〜。付き合って何年ぐらいになるの?」「もう5年かな。籍はまだ入れていないんだけど」「喧嘩などしないの?」「いや小さい喧嘩はするけど大きいのはしないな。なんか、自分が父親みたいな気持ちになって」「わー、それなら大丈夫だ。でも突然、彼女から別れ話を切り出されたりしたら、一生立ち直れなくなってしまうから、絶対、ユニさんを大事にした方がいいよ」

2月13日(土)


吉本隆明・ハルノ宵子『開店休業』(幻冬舎文庫)
氷の入った水

 父が亡くなる三、四ヶ月ほど前、冬に入る頃だった。流しで洗い物をしていると、夜食の後ぼんやりとキッチンの椅子に座っていた父が、「さわちゃん、そこにいるか?」と尋ねた。「そこまでひどくなったのか」と思う。父と私の間には食器棚があるとはいえ、一メートル程の距離だ。耳も遠くはなっていたが、水を流したり食器を洗う音は聞こえているはずだ。しかし父にとってそれは単なる"音"であり、〈水音→洗い物→そこに私がいる〉と、認識できていない。脳の回路が途切れているのだ。
 「いるよ。何だい?」と、手を拭きながら父の前に立つと、「すまないが、氷の入った水を一杯くれないか」と、父は言った。その言い方が、これまでの父とは違って、あまりにも"ニュートラル"だったので私は驚き、限りなくやさしい気持ちになって、あわてて水を入れに行った。"水"じゃサービスのしようも無いので、せめてミネラルウォーターにロックアイスを入れ、父に差し出した。父は「ああ……うまい! うまいなぁ」と、本当に美味しそうに飲み干すと、奥の客間へと這って寝に行った。
 そんなことが二、三度あっただろうか。私は人間のこれほどまでに"含み"の無い言い方を聞いたことがない。歩き疲れた旅の僧が村に差しかかり、初めて出会った村人に「すまんが水を一杯所望したい」と言う。時には気味悪がられ、目の前でピシャリと戸を立てられることもあるだろう。しかし僧は落胆するでもなく、恨み言を浮かべるでもなく、また再び歩き出す----そんな言い方なのだ。そこには懇願も媚も威圧も取り引きも無い。ただそのままそこに"有る"だけの言葉だった。
 父がどれほどの高みにまで達したのかは、私は知らない。ただもう家族のもとには帰って来ないのだという予感だけがあった。
 父は一介の僧となって旅に出てしまったのだ。

ハルノ宵子『開店休業』


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