Diary 2016

ホーム  自己紹介  ライブ  日記  エッセイ  書評  コラム  写真

12月  2016年1月  2月  3月  4月  5月  6月  7月  8月  9月  10月  11月  12月

倉敷「蟲文庫」2016.7.17

9月25日(日)


 二十歳の頃のしいこちゃんは丸顔で可愛かった。化粧をしなくてもキレイだった。ところが、六十八歳の今はしわだらけのばあさんだ。カラー写真を撮っても白黒に写ってしまう。口の周りもへこんじゃった。「もう顔はあきらめて、性格を良くするしかないね」としいこは言った。

しいこちゃん56歳  2004.12.12

9月18日(日)


 奥歯が痛くなった。歯科の診断は虫歯ではなかったので、耳鼻科でCTスキャンを撮ってもらったら、また上顎洞嚢胞であった。2年前は右側、今回は左側である。「もう歳だから、なるべく手術はしない方向で…」と言うと、「薬で治まってしまう場合もあるけれど、根本的な治療ではないからまた再発するし。今は麻酔が進歩しているので、80歳の方でも元気であれば勧めているんですよ」と諭される。いずれにしろ、炎症を起こしている間は手術はできないので、まずは薬で落ち着かせましょうとなった。

 ところが、薬を飲み続けてもなかなか痛みが治まらない。前と比べると性質(たち)が悪い気がする。じっと痛みに絶えていると、若くして亡くなったHONZIや佐久間正英さんを思い出す。今の僕の痛みや苦しみとは比較にならないだろうけれど。

 2014年1月16日に亡くなった佐久間さんは、2013年4月に突然「胃がんの末期」と宣告され、その後、食事は思うようにのどを通らず、激痛で眠れず、指先の麻痺の治療ため脳腫瘍の手術をした。最期までギターを弾きたかったからだ。それでも麻痺は残り、死を覚悟してのステージ、渋谷(2013.9.19・9.29)、京都(10.7)、シカゴ大学(10.18)での演奏は、今までのどの演奏よりも素晴らしかった。

 HONZIもそうだ。2007年8月26〜28日、富山、金沢、渋谷で一緒だった。金沢ではステージに上がる直前「吐いちゃうかもしれない」と言ったほど体調は最悪であった。しかし、「屋上」から「からっぽの世界」まで、この世のものとは思えないバイオリンの音であった。残念ながら音源は記録されていない。HONZIはその一ヶ月後、9月27日に亡くなった。金沢もっきりやの壁には「音楽が降りてくる夜」のチラシが今も飾ってある。

金沢もっきりや「音楽が降りてくる夜」

 僕はこれまで人間関係において数々の失敗を重ねてきた。「ずっと仲良しでいられるとは限らない」と心がけていれば、もっと正直に、優しく接していたかもしれない。悔いのない別れ方があったかもしれない。「これが最後のステージだ」と常に思って挑めば、この汚れた精神をなんとか昇華できるだろうか。

 痛みに耐えていると欲望はなくなる。食欲はない、聴きたい音楽も、読みたい本も、観たい映画もない、話したいこともない。「求めない」心境になると、今まで求めていたものがそれほどのものではなくなり、本当に必要なものは何なのかが見えてきそうだ。

9月1日(木)


7/16〜18まで、「瀬戸内ツアー♪あの娘に逢いに」と題し、松山、倉敷、広島をチェロの坂本弘道さんと回ってきた。広島カフェ・テアトル・アビエルトでは二階堂和美さんも参加してくれて、「早く抱いて」を一緒に歌った。まあ、色っぽいこと。目が合うと照れてしまう。

終演後。坂本弘道さん、二階堂和美さんと 2016.7.18

二階堂さんの歌声は、のどからではなく、頭から、顔から、胸から、お腹から、全身いたるところから発せられていた。「愛の讃歌」などはすごい声量であった。歌いながら、客席に割って入りお客さんと握手、手の届かないところまで、どこまでも手を伸ばす。みんな笑い、元気になる。

ライブハウスのオーナーは隣に大きな畑を持っていて、採れたての美味しい野菜料理をごちそうしてくれた。広島駅行きの最終電車に間に合うよう打ち上げを途中で切り上げたら、二階堂さんが上八木駅のホームまで見送りにきてくれた。ハグしたくなるくらい、嬉しかった。

前日、倉敷では、リハーサル前に古本屋「蟲文庫」さんを訪ねた。実は、店主の田中美穂さんが書かれた『わたしの小さな古本屋』が文庫化されるにあたって、解説を書かせてもらったのだ。

思っていた通りの店構え、店内であった。小さいお店なのに居心地がよい。卓上の扇風機がやさしく回っている。レジは三畳ほどの畳の上に机があり、その奥には小さな庭が見える。きっと猫が行ききするのであろう。気づかないくらいのほんの小さな音量で音楽が流れている。お客でありたいというよりも、店番をしたくなるような店であった。

その日行われた倉敷ペニーレーンのライブには、田中さんも聴きに来てきてくれた。終演後、挨拶をしてホテルに戻ってから思った。あー、ゆっくりお話したかったなと。僕はいつもそうだ。気が利かない。間が悪い。「蟲文庫」は後を引く。つげ義春さんが旅先で居着いてしまうような妄想を抱いた。

初日の松山スタジオOWLの店長からは、「恥ずかしい僕の人生」と「サルビアの花」の歌詞コードを頼まれた。お客さんの中にカバーしている人がいて、正しいコードを知りたかったそうだ。大いに歌ってもらいたいので、コードを知らせることは、全然苦ではない。「♪いつも いつも 思ってた」のコードは、「C Baug(シ・レ♯・ソ) Am」であると伝えると、「Baugでしたか」と喜んでくれた。


12月  2016年1月  2月  3月  4月  5月  6月  7月  8月  9月  10月  11月  12月

ホーム  自己紹介  ライブ  日記  エッセイ  書評  コラム  写真