Diary 2012

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7年前! 鎌倉材木座海岸 2005.8.21

9月23日(日)


渋谷LAST WALTZ by shiosaiに向かう途中、タテタカコさんよりメールが届く。「今日は、どうぞよろしくお願いしますm(___)m やさしい雨が降っていますね。 タテタカコ」とあった。僕は「あいにくの雨」(お客さんに申し訳ないな)と思ったので、「やさしい雨」は意外だった。歌の題名になるなと思った。

タテさんとはこれまでに、秋葉原クラブグッドマン、島根出雲市旧国鉄大社駅、長野大町麻倉、松本あがたの森公園でご一緒させていただいたが、いつも、誰に対しても礼儀正しく、深々と頭を下げ、両手で握手をする。日常会話では自分のことを「わし」と言い、歌の中では「♪ぼく」と歌う。それが自然体なのだ。通常、女性歌手は男性から好かれるケースが多いが、タテさんはとても女性ファンが多い。同性から好かれるというのは異性からみても気持ち良いものである。

サウンドチェックは慎重だ。グランドピアノを支える3点の車輪の向きの位置で響きが変わるという。正しい角度があることを教わる。言われてみれば納得。「神は細部に宿る」。

控室でタテさんが「龍角散の匂いがしたらごめんなさい」と言う。「いや、しないですけど。のどに効くんですか?」「わしは、調子がいいのです」「響声破笛丸料エキス顆粒Aもいいって言われてますよね。一音高い音が出せるって」「あっ、知ってます」「水なしで飲めばいいって教わったけど、のどにひっかかって、一度調子が悪かったから、今は僕は何も飲んでなくて、ワインぐらい。飲みすぎると、ガラガラになっちゃうけど」

タテさんのステージを後方で聴く。一曲目、何を歌い出すのかなと思ったら、ピアノを弾きながら即興で、「♪早川さーん、探し物ありましたよー」と歌い出した。(ポケットに入れておいた、ドリンクサービスの緑色のプラスチックコインがなくなってしまったので、あれどうしたんだろうって、さっき、タテさんの出番前に、僕は楽屋でバタバタしていたのだ。歌い終わったあと、僕の汗などがピアノの鍵盤に付着していたら、そのあと弾くタテさんに申し訳ないと思い、僕はポケットからハンカチを取り出し、鍵盤を拭いてから退場したのであった。その時に、落としてしまったのだ)

タテさんの<誕生日>と<十一月>が印象に残った。「みなさん、トイレに行きたくなったら、歌の途中で行ってもかまいませんよ。のどが乾いたらドリンクお代わりして下さいね」と気を使う。そして歌い出す時は、首をゆっくり後ろにそらし、深呼吸をしてから歌い出す。僕は次から次へと歌ってしまうくせがあるから、見習おう。息をしなければ楽器だって音は出ない。

最後一緒に歌う。「早川義夫さんとタテタカコさんのデュエットがエロかった、早川さん普段の何倍もエロい気がした 」とツイートがあったので、「それしか生きがいがないんです」と答えた。
「ボート漕ぐみたいな曲とか良過ぎて、もうもうもうもう興奮がとまらんw」というのもあったので、題名をお伝えした。
「最後の2曲、息があっていました。私は、いやらしさは何も感じなくて、おもいやりと優しさを感じました」というメールもあった。

9月16日(日)


午前中、小西邸へお邪魔し、小西さん推薦の映画を観せてもらった。映画というより、NHK広島放送局が制作したテレビドラマを録画したものである。原作・室生犀星、脚本・渡辺あや、音楽・和田貴史、演出・黒崎博、主演・原田芳雄、尾野真千子「火の魚」。ここ数年、僕は地上放送は観てなくて、邦画も見ていないから、あまり期待していなかったのだが、良かった。いわゆるラブ・シーンはないのだが、いや、全編ラブ・シーンのように感じて、自然と涙が出た。

高知は雨。ライブハウスカオティックノイズ。もともとCD屋さんをやっているので、店長井上賀雄さんは真の音楽好き。とても感じの良い方だ。お客さんも熱い人が多かった。数曲歌ったあと、一番前で聴いていた女性が泣いている。その姿を見て、僕ももらい泣きしてしまった。<I LOVE HONZI>を歌っている時に、もらい泣きしたことは今までに数回あったが、まさか、<躁と鬱の間で>で泣かれるとは思わなかったので、思わず僕もポロポロ泣けてきてしまい、涙を抑えながら歌った。こんなことは初めてのことだ。

喜劇役者が笑いながら演技してはいけないように、本来は泣きながら歌ってはいけない。悲しい歌こそ微笑みながら、怒りの歌こそ優しさを込め演奏し歌わなければいけない。

外国人男性と日本女性のカップルがいた。女性が男性にうっとり持たれかかり、男性の腕をさすっている。その光景にも泣けてくるものがあった。終演後、僕を泣かした女性からサインを求められた。話を聞くと、僕を知らない、歌も聴いたことがなかったという。それが嬉しかった。

9月15日(土)


会場へ着く前に、主催の小西昌幸さんと合流し、「ひろっちゃん」というお店で徳島ラーメンを食べる。美味しかったー。小西さんとは初めてお会いするわけだが、実は僕が本屋時代、小西さんの編集出版した「<板坂剛 世紀末文化考」(1984年)を注文し、うちとやりとりしたことがあるという。客注だったのか、店売りのためだったか忘れたが、板坂剛の名を思い出したくらいだから、おそらく、うちで販売したのだと思う。不思議な縁である。

徳島北島町立図書館・創世ホールは330席の立派なところ、まったくもって身分不相応。ピアノは、フル・コンサート・ピアノだ。さすがにいい音。うっとり。通常なら、会議室あたりでやるべきところなのだが、僕にピアノを弾かせてあげたいという思いで小西昌幸さんが決断を下されたとのこと。

広重さんから「物販、売れますからいっぱい持ってきて下さいね」と言われていたのだが、僕は自分の最近の売行き状況を知っているから、東京の感覚でCDと本を持って行ったら、明日もライブがあるのに完売してしまった。サイン会では、僕の本を全部、持って来られた方もいたり、古いアルバム、中には見たこともないアルバムもあった。わー、日本のいたるところに、ものすごく人数は少ないけれど、ファンの方がいらっしゃるのだなと実感。感謝である。

※穂高亜希子さんのブログ「とうみんにっき 2012-09-23 大阪、徳島のこと。

9月9日(日)


旧グッケンハイム邸森本アリさん率いる「三田村管打団?」と、えんちゃんこと遠藤里美さん所属「片想い」を聴きに渋谷WWWへ。三田村管打団?は、明るく楽しい迫力のサウンド。片想いはへんてこで歯切れがよい。単純な歌詞を繰り返すだけの歌にも染みるものがあった。 合体しての「両想い管打団!」では、ゲストに中尾勘二さんが登場。初めて僕はソロを聴く。独特のリズム、どこにもないメロディ、すごい人はいるものである。お客さんは若い人ばっかり。みんなリズムをとり音を楽しみ手拍子をとる。大盛況。16:30〜20:30までスタンディング、わたくしも頑張りました。

出かける前、家の中に緑色の小さなバッタを発見。周りには土も草もないのにどこからやって来たのだろう。元気がない。動けない。完全に弱っている。とりあえず、そっと抱いて、テラスへ。昨日、102歳の義母が危篤という知らせが入ったので、ああ、バッタは義母なのだろうなと思った。帰宅後、17:30に亡くなった知らせを受ける。

9月3日(月)


人間は、どうしてもうぬぼれてしまうものだから、そばで注意してくれる人が必要である。調子に乗って浮かれているときは、みっともないよとか、もっと謙虚にとか。逆に落ち込んでいるときは、全然おかしくないよ、みんなそんなもんだよと元気づけてくれる人がいた方がいい。そうしないと、天狗になり、裸の王様になり、あるいは、首を吊り、ビルから落ちてしまう。特に作品を書いたり作っている人は作品が書けなくなると苦しい。書いても、自分ではなかなか客観的になれないものだから、それが傑作なのか駄作なのかがわからない。

そこで、誰々さんに読んでもらおう、聴いてもらおうとなる。僕も経験がある。CDや本を僕の好きな人に贈る。ところが、友人からお礼状が届く場合はあるが、面識がない人からは、ほとんどといっていいくらい、何の感想も返って来ない。感想が返って来ないということは駄目なのだ。みんな自分のことで精一杯なのであり、人の作品まで手が回らない。思ってもみないところから、「いいね」と言ってくれたりした人は、贈呈していなかった人からだ。そういうものである。

歌を作る時もそうだが、僕は、ちょっとまとまった文章、時には日記まで、発表する前に、一番身近な人に目を通してもらう。身近な人というのは、別に専門家ではない。仕事仲間や友人でもない。たまたま、そばにいる娘であったり妻である。特別仲が良いわけではないから、相手は仕方なく、「私だって忙しいんだから」って怒りながら読むことになる。

僕は散々言われてきた。何の遠慮もなく、「ダメ」「全然面白くない」「意味が通じない」「この箇所削除」「これは相手に失礼」「最後もう一工夫」などと。なにしろ、頼んで読んでもらっているから、随分偉そうに言う。しかし、指摘された箇所は、言われてみると、たしかに、僕もうすうすちょっとおかしいかなと、気にかかっていたところなのだ。人から注意を受けて、初めてはっきりと気づく。どうしたものか、再度考える。ダメ出しがあったところは、思い切って削除した方がいい。まだ熟し切っていないのだ。

娘や妻は、歌は歌えない、文章も書けない。読書家でも音楽通でもない。何でもない。完全なる素人だ。ところが、批評する力だけは持っている。考えてみれば誰だって持っている。小学生だって持っている。多くの作品を見たり聴いたりする人はみんな素人なのであって。批評家や専門家の目が正しいとは限らない。また、仲間内の意見というのも、慣れ合いで、キツイことは言わないだろうから、信用してはいけない。聴く耳を持とうとしていなかった、素人の目と耳が一番怖いのだ。

そんな経緯を経て、依頼原稿の場合は編集者に渡る。行数もぴったりにして。だから、書き直しがあったことは(あっ、新聞の時は厳しかったから数回あったけれど)あまりない。歌の場合も、仲間に聴いてもらう段階の時は、もう完成されている。コード譜を渡すだけで、音はおまかせする。1回リハをすれば、それでOKとなる。たまに、佐久間正英さんに、「イントロどうしよう? エンディングどうしよう?」と相談する時はあるが、「普通でいんじゃない」と言われるだけで、結局、一番簡単な方法を取る。枝葉の部分には、こだわらない。枝葉の部分にこだわりたくなるのは、花も実も根もないからである。

これを娘に読んでもらったら、案の定、「最後、すごいうぬぼれ、みっともない」と指摘された。
妻には、(これは別な原稿の時だったが)「大変、良い文章だと思います。愛も感じられます。この愛を、恋人・子供・妻にも、与えろ〜〜〜。」と返信があった。


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