Diary 2012

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三上寛さん、柴草玲さん、田中崇之さん、僕。開演前新宿紅布ステージ 2012.3.29(Photo by Koyanagi)


3月29日(木)


三上寛さん、柴草玲さんと競演した。三上さんとは、初めてお会いする。新宿紅布の階段を降りた途端、ご対面。「初めましてー」と握手を交わす。お顔は知っているので、なつかしい旧友に出逢った感じ。今回のライブを企画した共振の田中崇之さんに、「感じのいい人ですねー」と、三上さんの第一印象を伝える。「そうなんですよ。たとえば、ライブが終わったあとなんかみんな飲みに行こうよなんてお客さんを誘ったりするんです」。

開演前に楽屋でしばしお話。「渡ちゃんが三上寛を好きって言ってた話、この間、日記に書いたんだけど…」「そう、渡とは、特別、仲が良かったわけじゃないんだけど、お互い何か通じ合うものがあったんだろうな」と振り返る。そのうち、ジャックスと本屋の話題に移ったので、「わー、つらい思い出ばっかり」と申し訳ないが話を変えてしまう。横で聞いていた柴草玲さんが、ふふふと笑う。

柴草玲さんの「川辺」を客席で聴く。僕は「川辺」が好きで、柴草さんからコードを教わり、一度だけ、ピアノの椅子に並んで坐り、柴草さんと連弾したことがあるのだ。ベース音と和音が違うコードがいくつもあって、とても難しかった。ところが、柴草さんはいとも簡単に弾く。難しい歌を誰でもが歌えそうに簡単に歌う。難解さを表現しているわけではない。うまさも強調していない。

「たたみちゃんのテーマ」「イカ女」と続く。自分をさらけ出す。包み隠さず。かといって、主義主張しているわけではない。自己満足の歌でもない。ちゃんと聴く側の立場に立っている。情景が見える。歌い手の目線と歌われているものとの距離感がわかる。笑いをとる。何々ぶらない。独自のスタイルだ。完成されている。

柴草さんのステージが終わったあと、「柴草さんの歌で、大満足したから、もう帰ろうかなー」という声が聞こえてきた。僕に話しかけたのか、独りごとだったのかよくわからなかったので返答しなかったが、あとでtwitterを開いたら、yoshiohayakawaあてに、「北川と申します。演奏前に、売店で声をかけてしまいました。柴草さん、花火の歌最高だったです。早川さん、パンクロックみたいな熱演、パパをライブで聞くのが3回目です。最初の印象と変わってすごく清らかな歌になっちゃいました。ありがとうございます。」というのがあった。

パンクロックとはどういうのか知らないから、自分ではそう思っていないが、「パパ」も最初歌った時、「援助交際」という言葉が出始めたころだから、アンケートに「けしからん」と書かれたことがあった。ある年配の男性からは、「あれはホントのことですよね」と尋ねられた。「清らかな歌になっちゃった」ということは、褒め言葉として受け取っていいのだろうか。だとしたら、嬉しい。「♪何が正しくて何が正しくないかは キレイに思えるかどうかの違い」だからだ。

三上寛さんのステージを初めて拝見する。どう感じたかを説明することが難しい。それは三上寛さんに限らず、僕にとっては1970年代あたりから歌い出した人たち全員に言えることだ。特に、僕と似たタイプと思われている(僕はそう思っていないけれど)人の歌については、正しい判断が出来ない。奇妙なたとえかも知れないけれど、外国へ行ったのに(僕は行ったことがないけれど)日本人に出会ってしまったような、バツの悪さを感じるのだ。

楽屋での三上寛さんとの会話。「斉藤哲夫がよく早川さんのこと喋ってますよ」「そう、前に、『早川さん一緒にやろうよ』って誘われたことがあったから、僕、男とは競演しないのって言って、断っちゃった」。人間は、特に男は、女性もそうかも知れないけれど、いや僕だけかも知れないけれど、自尊心、虚栄心、劣等感の塊だから、同種同世代の人に対し、つい競いあってしまうのだ。その醜さを僕は持ちたくないから、そういう場所にはなるべく近づかないようにしている。ここのところ、ちょっと怪しくなってきたから、気をつけないといけない。

ステージでのMC。「僕はURC時代、五郎ちゃんと渡ちゃんしか友達がいなかったけれど、その時代に三上さんと出会っていたら友達になっていたと思います」。終演後、三上寛さんから、カメラの色をからかわれる。ごもっとも。恥ずかしーい。僕も間違ったと思っているんです。男がカメラで白色はいけません。

3月13日(火)


インフルエンザの特効薬タミフルを5日間飲み終えた後、歌ってみたら、声が出ないのでびっくりした。幾日も咳き込んで、のどを痛めたからだ。安静にすべきか、馴らしていくべきかわからない。もう、病気は嫌だ。これからは気をつけよう。

遠藤里美さんとは3年ぶりの共演。逢うのも3年ぶり。出番前にちょっと一杯。「あれー? 眼鏡かけてない」「レーシック手術」「わー、いいなー。僕も若いうちにやっておけば良かった」「今からでも遅くないでしょ」「いや、駄目だよ。僕、40歳くらいの時、コンタクトレンズに挑戦したことあるけど、駄目だった。ずうっと雨の中歩いているみたいになってしまって。若い人は、異物に順応できるけれど、歳をとると身体が拒否反応起こすんだって。傷も病気も治りが遅いしね」

3月5日(月)


いつどこで、インフルエンザに感染したかがわからない。潜伏期間は、通常1日から2日、あるいは1週間。そんなに人混みの中へ出かけた覚えはないのだが。感染を防ぐにはマスクと、うがいしかないらしい。

いずれにしろ、すべては私の不注意。ライブキャンセルは初めてのこと。予約された方、主催の渋谷dress森谷さん、共演の熊坂るつこさん、申し訳なかったです。借りはどこかで返さなければ。「お大事に…」のツイッター、メールありがとう。

3月4日(日)


情けないことに、たまたまお米が切れていて、どういうわけか、レトルトの赤飯しかない。冷蔵庫を開けて、家人が置いていってくれたものを見る。釜あげしらす、味付き数の子、ごぼう天、ぶり大根、京漬物…。おうどんとトマトレタスを抜かせば、お酒のおつまみみたいなものばかりだ。めでたくないのにお赤飯、お正月でもないのに数の子。

「ごぼう天なんか、しいこの好物であって、僕が好きなわけじゃない」「だって、何が食べたいかわからないもの」「数の子やしらすは、賞味期限があるし、数の子なんか食べ切れないよ」「残ったら、冷凍すればいいのよ」

「赤い毛布、送ってくれないかな。こっちにある毛布、何だか夏掛けみたいで、すっごく寒いの。急に寒く感じるようになっちゃって。電気敷毛布の温度上げると、汗かいちゃうし。そうだ、オイルヒーターあったじゃない。臭いも音もしないやつ。あれ、送ってくれないかな」「そんなの梱包出来ないわよ。毛布は送るけど」「あっ、湯たんぽがあったはずだ。それ探してみる」

A型インフルエンザ 2012.3.4

3月3日(土)


熱は37度1分。これなら、無理すれば歌えるかなと、まだ、そんなことを考えている。ところが、そう思った途端、突然、咳込む。喉からバッチイのが出る。ひどく喉が痛い。

3月2日(金)


処方された薬を飲んでも、快復に向かわない。熱さえ出てしまった。朝一番、もう一度同じ病院に向かう。受付で熱を計ると37度9分。すぐに名を呼ばれ、細い綿棒を鼻に入れられた。しばらくしてから、「早川さーん、こちらの部屋へ来て下さい」と違う診察室へ。「A型インフルエンザです」。Aの印のところに赤線が入った容器を見せられる。

インフルエンザというのは、僕は一度もかかったことがないので、(根拠はないけれど)自分はかからないものだとばかり思っていた。「インフルエンザは人にうつりますから、治るまでは外出しないように」「明日、仕事で人前で歌うことになっているんですが」「それは、やめた方がいいです。法律で決められているわけではないけれど、医師からA型インフルエンザと診断されたのに、もしも、周りのみんなに感染したら、どうします? 道義上、常識として、まずいでしょ。必ずうつりますから」「やめた方がいいですか?」「はい」

あとは、看護婦さんからの説明。「このタミフルというお薬を2日間飲むと熱は下がりますが、5日分最後まで飲み続けて下さい。その間は人と接触せぬように」。会計も受付ではなくその場で済ませる。病院からして隔離状態だ。

家に戻り、朝早いが、るつこさんに電話。留守電に用件を入れる。まもなく電話があり、わけを話す。「そんなわけなので、dressの森谷さんにどうしたものか相談してみてくれるだろうか。歌おうと思えば歌えると思うんだけれど、うつるっていうんだよね」

結局、中止に決まった。申し訳なく思う。ツイッター、ホームページで告知する。

午後過ぎ、家人が食料を2日分ほど持ってきてくれた。うつるといけないというので、そそくさと帰って行った。テーブルに用意されていた夕飯を食べる。食欲がないせいか、味がしない。一日中、ベッドでうつらうつら、寒かったり、熱かったり、咳込んだりして、夜は眠れない。

3月1日(木)


熱はないんだけど、なんとなく風邪ぎみだったので、ライブも近いし、早めに病院に行くことにした。独り暮らしを始めて2年、風邪らしい風邪はひいていない。どの病院にするか迷った。近くの二つの病院に電話で診察時間を訊ね、応対の感じの良い方を選ぶ。

「風邪だと思うんですが」「どうしてそう思うの?」「鼻水が喉に回ってくる、こういう症状はいつも風邪だったし。でも前の病院でもらった、PL顆粒を飲んでも今回は治らないんですよね」。喉を懐中電灯で照らし、胸に聴診器をあてたあと、「じゃ、漢方のいい薬を出しましょう。私も風邪の時これも飲むと治っちゃうんですよ」

「あのー、なるべく早く治したいので、点滴を打ってもらいたいんですけど」「点滴10本打つのとおかゆ一杯食べるのと同じくらいの効果だから、必要ないな」「…そうですか」。鎌倉の通っていた病院ではしてくれたんだけどなー。看護婦さんから「チクッとしますよ」と言われて、ベッドに1時間横たわっていると、ホントに良くなる気がするのだ。

「症状に変化があったら、明日も明後日もやってますから、その時は来て下さい」「はい」。処方された薬は「小青竜湯」4日分だけ。何だか頼りない。もっとたくさん薬を出されると安心するのだが。


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