4月29日(日)
遠藤ミチロウさんとは、2006年沖縄以来だから、6年ぶりに逢う。それまでまったく音信不通。今回の打ち合わせもライブハウスAPIA40の伊東さんを通してなので直接話をしていない。お互いの住所もメールアドレスも知らない。でも、決して仲が悪いわけではない。楽屋でちょっとお話した。あー、気が合うなと思う。訊いてみたいことが次から次へと浮かんでくる。
僕は今年の初めから、独りでブッキングを始めているので、長年マネージャーなしでやっているミチロウさんからノウハウというか、あそこのライブハウスはいいよとか、そんな情報交換をしたかったのだが、またしても、終わってから、「ではまた」と別れてしまった。かなり好きなのに。まあ、このくらいの距離が好ましい。
ミチロウさんの歌う「聖なるかな願い」はいい。「我自由丸」もいいなー。「さようなら」も良かった。「♪悲しいことがあると歌が出来るって悲しいね」。ミチロウさん、またいつか沖縄、あるいは北海道か九州、行きたいですねー。
4月24日(火)
佐久間正英さんの日記「一段落して(2012年4月15日)」 を読んで、とても清々しい気分になった。文中突然また、僕の悪口が書かれてあった。これで3度目だ。今までに「神経質でわがまま」「悪い意味で子供のような人」。今回は「人としての残念な点」である。かなりひどい言い回しだ。普通、本当のことを突かれると反論したくなるものであるが、不思議と嫌な気持ちにならないのは何故だろう。
駄目なことを知ってて、付き合ってくれている、欠点を良しとしている、まさか恋人同士ではあるまいし、しょうがないとあきらめてくれている。でも、「無神経で優柔不断」よりいいし、「良い意味で子供のような人」ではありきたりでつまらないし、「人として残念な点」というのも、なかなか味わい深い。人間は他の生き物と比べてそんなに偉いわけじゃないから、「人として残念な点」と言われるのは、褒め言葉としても受け取れる。
お互い、歳をとって知ったことは(いや、若い時からすでに気づいていたことであるが)、かっこいいということは、まず、普通であること。かっこつけないことだ。自分に正直であること。素直であること。あまりむきにならないこと。通ぶらないこと。群れないこと。自分の中の「いい部分」と「悪い部分」をちゃんと判断すること。自惚れないこと。最後に、佐久間さんの日記から引用。
「一生懸命やること。そこに誤魔化しや妥協をしないこと。出来ることだけを出来る様にやること。当たり前の事を偉そうにやらないこと。ひたむきであること。いつも新鮮であること。自分の感覚を信じること。友達や仲間の助けを素直に受け入れること。実際はカッコ悪くてもカッコよく生きようとすること。」4月19日(木)
「薬っていうのは、ほとんど植物から作るんだってね。もとは漢方で、それを丸薬にするんだって。たとえば、人参ていう薬があるでしょ。あれは、ギリシャの昔から使っていて、最初はお腹の薬だったんだって。下痢にも便秘にも両方に効く。いろんなものに効くから、そのうち万能薬になっちゃったんだけど。昔は、ひとつを飲ませていたの。
今の薬の作り方は、その人参から、下痢を止めるエレメントと、便秘に効くエレメントを抽出して2種類作る。あとの効かない部分は捨てちゃう。ところが、下痢をした方がいいか、止めた方がいいかは疑問でしょ。それを判断するのは、僕ら自身の身体なんです。おそらく、何にも効かないって捨ててしまった中に、それを選択させる何かのエレメントがあるに違いない」っていう話を小林秀雄の講演から聞いた時、そうだろうなと思った。
一見役に立たない、欠けているもの、科学的に判断できない、目に見えないものの中に、大切なものがあるということだ。4月14日(土)
渋谷LAST WALTZ by Shiosaiにて、佐久間正英さんとライブ。佐久間さんは2日前の疲れもあったはずだが、全24曲お付き合いいただいた。特に「からっぽの世界」のエンディングが凄かった。思わず立ちあがって拍手してしまった。充実した時間。みんなに感謝です。
4月12日(木)
佐久間正英さん還暦お祝いパーティー「The Party 60 "masahidesakuma 60th anniversary special live"」に参加、渋谷club aisiaへ。GLAYをはじめ10組のバンドが出演。普通このくらいの規模だと、イベンターに制作を依頼するものだが、佐久間さんの希望で佐久間さん自身の手作りライブ。企画、制作、各出演者への連絡、楽器の運搬、お弁当の手配まで、すべて、佐久間さん自身が行った。
僕は久しぶりにバンド編成で歌わせてもらった。ドラムそうる透さん、ベースは初めてお逢いする根岸孝旨さん。僕の歌を聴いたことのない若い人たちにどう受け取られたのかよくわからないが、気持ちよく歌えたので良かったことにしよう。それにしても、たった4曲なのに疲れた。ちゃんとマイクが声を拾ってくれているのに、聴こえないんじゃないかと思って、大声を出してしまったからだ。
N'夙川BOYSのステージを初めて拝見。楽器を持ち替えたり、立ち位置が変わったり、客席に乱入、お客さんの肩の上に立って歌っていた。迫力、スピード、スリル、何か予測できない熱いものを感じた。僕にはとうてい出来ないことなので、ちょっと憧れた。
ところで、何を歌っていたのかは、どうしても思い出せない。よく、つまらない歌や面白くない映画を観たりすると、いったい何を伝えようとしているのかさっぱりわからないと不満をこぼしてしまうけれど、言わんとすることがわからなくても、意味がわからなくとも、いいなと思う瞬間はあるものである。