Diary 2012

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初めての帽子 2012.10.20(Photo by iPhone)

11月26日(月)


渋谷アップリンクファクトリー(競演は穂高亜希子さん、JOJO広重さん)。僕の入り時間は4時。雨なので自宅からビニール合羽を羽織りビニール傘を差した。渋谷に着いたら、ものすごい降りだ。こりゃ、お客さん困っちゃうだろうなと思った。僕は屋根のない商店街で本屋を数十年やっていたからわかるのだが、当然、雨の日は客足が悪い。

そういえば本屋時代、雨の日は必ずといっていいくらい、傘の間違いが起きた(当時はビニール傘はなく、みんな普通の傘だ)。故意なのか、無関心なのか、うっかりなのかはわからないが、他人の傘を間違えて持って行ってしまう人がいる。自分のと似ているからなのかも知れないが、より上等な傘を持って行く。残された傘は貧弱で、どことなく不潔に思えてくる。

お客さんに平謝りする。「戻ってきましたら御連絡いたしますので」と伝え、別の傘をお渡しする。しかし、肝心の傘は一度も戻って来たためしはない。奮発して、店に不釣り合いだが鍵付きの大きな傘立てを設置したこともあった。ところが、いたずらなのだろう、いつのまにか鍵だけがなくなってしまう。ビニール袋を用意しても、長居するつもりのないお客さんは袋には入れず(今のように機械式ではなかった)、濡れたまま店内に入ってしまう。雨の日は嫌だ。そのかわり、雪の日は楽しくて休業してしまった。今思うと、来店してくれた方には大変失礼なことをした。

どしゃ降りの日は、「雨の日サービス」があっても良いかも知れない。そんなわけには行かないか。リハが終わって、外を見ると、いつのまにか雨は止んでいた。アップリンクで歌うのは二度目だ。今回はアップライトピアノが常設された。企画運営の倉持さんのお話によると、社長の自宅から運んで来たそうだ。ドイツ製SCHWESTER(シュベスター)というピアノだ。前日に調律も入り、深みのあるいい音だ。とても気持ち良く歌えた。

僕の位置から客席がいくらか見える。お客さんの顔が見えたほうが僕は好みだから、ピアノの向きは大切である。アコーディオンの熊坂るつこさんとは背中越しで目は合わせられないが、何度もやっているので息はばっちりだ。2曲目に「花火」を歌った。ところが、まったくアコーディオンが聴こえてこない。あれー、るつこさん、僕の歌に聴き惚れているのかしら? と自惚れていたら、1番の後半から、うすーく入ってきた。そして、間奏に入った途端、ものすごい勢いでアドリブが入った。僕は思わず通常のメロディーを弾くのを止めコードだけを押さえた。るつこさんの創作である。

誰かと一緒に演奏するということは、音楽をなぞってもらうことではない。音を足す、効果的な音を出せばいいっていうものでもない。その作品をもっと高い位置に上げるためには、加わった人の新たなる創作が必要なのだ。アルバム『I LOVE HONZI』を聴いてもらえればわかる。僕が歌ったことと同じことを演奏者が歌っていては意味がない。

だからと言って張り合うのとは違う。目立てばいいっていうものではない。あくまでも、歌を盛り上げるための脇役に徹するのだが、歌の合間の、ほんのちょっとした隙間に、美しい息遣い、的確なタイミング、見えてくる距離感、浮かんでくる情景、流動的に立ち上がるメロディーが入ってくると、主役は入れ替わる。それは、意識してそうなるものではなく、自然と一体になる。共演するということは、助け合うことではない。音楽で会話を交わすのだ。お客さんともそういう関係なのだと思う。黙り合っていても語り合うことが出来れば、わかりあうことが出来れば、自分が何者なのか、生きて行くということは、どういうことなのかがわかりかけてくるような気がする。

11月24日(土)


磯部舞子さんお気に入りの喫茶店一橋学園ROLLING BEANSでライブをした。お店のオーナー千田さんの、なるべく地元の人に聴いてもらいたいという希望で、僕のHPでの告知が遅くなった。それでも遠くからいらして下さった方がいてありがたかった。小さいお店だが、たびたびライブなどをやっているようであり、河村博司さんが音響を手伝ってくれて、気持ち良く歌えた。

最近、気づいたことだけど、僕はお客さんの顔が見えた方が歌いやすいことがわかった。客席が真っ暗で何も見えないと、いったい誰に向けて歌っているのかがわからなくなり、かえって不安になる。客席はやや明るめで、一人一人の表情が見えた方がいいような気がする(もちろん、始終ごそごそ動いたりすると気が散るけれど)。目の前、ほんの数十センチの距離に真っ赤なブルゾンを着た年配の男性客がいた。といっても僕より若いと思うが、真剣なまなざしだ。ずうっと、睨んでいるように見えた。でも最後の曲では、笑顔で手拍子をしてくれたので、怒っていたわけではなかったことがわかりホッとした。

終わってから、挨拶に来られた方がいた。演奏中、右端最前列に座り、時折メモ用紙に、たぶん曲名を書き込んでいた方だと思う。「久しぶりに聴きに来たんですけど、今度は『しだれ柳』とか『枕歌』をやって下さい」とリクエストされた。「はい」と答えたものの、約束は出来なかった。決して歌いたくないわけではなく、歌いたいのだけれど、その時、歌いたいと思った曲を20数曲並べると、どうしても、二十歳のころ作った曲よりは、再び歌い出した後に作った曲の方が今の自分に身近に感じることがあって、どうしても古い曲はリストから外れてしまう。

人は、最初に聴いた曲に衝撃(?)、感動(?)を覚えると、そこから、離れなくなってしまう。その曲が特別いいとか悪いは別にして、その曲を聴くと自分の青春時代を思い出すことが出来るからかも知れない。いかに、感受性豊かな10代後半、20代前半の時代が大切かということだ。もちろん、感受性に対し年齢など関係ないけれど、作品や製品を作っている多くの人たちは、いかに、若い人に受け入れられるかということを常に考えている。若い人は、歳をとっている人よりも、頭はやわらかく、素直であり、礼儀正しいと僕は思っている。それを大人になっても持ち続けられるか、いつまでも少年少女のような年寄りになれるかどうかということだ。

終演後、僕は打ち上げに参加せず(最近僕は打ち上げしないなー、はしゃぐのも楽しいが、はしゃがないというのもなかなかいいものである)、まだ人の流れが多い地元のJR駅に着き改札口を出たら、抱き合っているカップルに出くわした。男は壁に寄りかかり、女性は男にべったり張りつき積極的だ。黒のミニスカート、上はベージュ色のスエードの半コート。生足がいやらしい。音まで聞こえるくらいの、激しいチューをしている。それも、長い。離れない。きっと別れを惜しんでいるのだろう。僕は立ち止まるわけにはいかないからしかたなく歩いたが、気になって振り返る。まだ、している。久しぶりに見る光景だ。「まいったなー」と思った。羨ましかった。

11月12日(月)


名古屋得三。ライブ当日は、会場近くにホテルを取り、リハが終わって、ホテルに戻り、ゆっくりお風呂でも入り、喉をうるおし、発声練習みたいのをしたり、ベッドに横になったり、1、2時間休める形が理想だ。そして僕だけの内緒の話だが、多少アルコールを補給した方がよい。ところが、未だにその微妙な加減がわからない。量が少ないと飲んだ意味はなく、適正量を超えるとかえってずっこける。

結局のところ、気持ち良く歌えるかどうかは、飲む飲まないではなく、その時の自分の精神状態、その場の雰囲気による。どんなに練習をしてきても、気が散ると、身体が固まり、リズムに乗れず、歌に集中できない場合がある。やり慣れた曲でも、ぽろっと間違えてしまう。強い精神力が必要だ。かといって力むのではない。すかすのでもない。澄みきった優しい気持ちになれるかどうかだ。

恥ずかしい話だが、家のパソコンには、「あせらない、がつがつしない」という注意書きが貼ってある。僕は細かくて、せっかちで、答えを急ぎたくなる性格だからだ。メールも読み直して出せばいいものを、あとになって、誤字に気づいたり、変な言い回しだったなと後悔したりする。再度、注意書きを確認し、数回読み直しをするのだが、最終的には、読み直すことにいらいらしてきて、パッと送信ボタンを押してしまう。なんのことはない、注意書きが役に立っていない。

歌詞カードにも「ゆっくり」という付箋がいっぱい貼ってある。それでも僕は走ってしまう。そこで、今回は別紙にマジックインキで、「すごくゆっくり、ムキにならない、落ちついて、メリハリをつける」と書き、譜面台に貼りつけた。

11月11日(日)


小雨降る中、持参してきたビニール合羽を羽織り、塩屋旧グッケンハイム邸へ。道すがら、ワンちゃんと出会った。柴犬を見ると、僕はチャコを思い出し、柴犬特有の歩き方に見とれ「可愛いねー」って話しかけてしまう。「雨が小降りになったので、おしっこしようねって出てきたんですよ」「おいくつですか?」「13歳」「わー、うちの犬は16歳で死んだの。頑張ってね」。

旧グッケンハイム邸では森本アリさんが迎えてくれた。あれ? いつものピアノと違う。「いいでしょ」とご機嫌なアリさん。これまでのピアノをオーバーホールに出したら、アトリエ ピアノピアから、代わりに別なピアノが届いたのだという。つまり、今回は展示販売中のものを使わせてもらうことになった。1905年製造、フランスプレイエル製、85鍵、250万円。譜面立てを立てると、「PLEYEL」と彫られている。

音は「どうだ!」という音ではない。控え目で、うっとりする音だ。なんて気持ち良いのだろう。自分の心と一体感になれそうな音だ。そんなに強く弾いちゃだめよ、そうそうその感じ、と会話を交わしているような気がしてくる。ピアノを弾いて初めてピアノが女性に思えてきた。恋するピアノだ。

一曲目を歌い出すと、ちょうど僕の目線に微笑んでいる女性がいる。知り合いではないのだが、どこかで逢ったことがあるような、それとも、逢いたかった人なのだろうか、なつかしい感じの、そんな錯覚に陥る色っぽい笑顔だ。隣には彼氏がいる。彼氏とも目があったのだが、彼氏はほとんど下を向いて聴いている。みんなの目線も優しくて、悲しい歌だって、悲壮感だけを表現するのではなく歌うことができたような気がする。真剣、真面目、正義が正しいとは限らない。人生は楽しむことが正しい。

11月10日(土)


事務所を離れ、一人でブッキングするようになって、最初に悩んだのが、スケジュールの組み方であった。同じ地域で日にちが近すぎるとまずいだろうし、かといって開けていくと、月に1回しかライブができなくなってしまう。僕としては、東京だけではなく、なるべく地方にたくさん歌いに行きたいのだが、行き慣れていないため、どこのライブハウスに声をかけて良いかがわからない。また、ギター一本で歌うスタイルではないから、会場も限られてくる。

良さそうなお店に電話をして仮にOKをもらっても、「小屋をお貸しします」式では、僕の名だけでは絶対お客さんは集まらない。お店の人が「ぜひ来てください。集客頑張ります」というところでないと駄目なのだ。互いに惚れ合わなければ成立しない。恋愛と同じだ。

歌いに行って、逆に、お金をライブハウス側に取られてしまったという話を音楽仲間のふたりから僕は聞いたことがある。どちらも名の知れた方だ。お呼びがかかったからといって、何の疑いもなく歌いに行くと、お客さんは競演者の身内だけであったりして、楽器使用料を取られてしまったというわけだ。

出演料はどういう形なのかを前もって確認しなかったからだ。どうして訊かなかったかというと、お金のことを持ち出すのは、いやしいことのように思えるからだ。ものを買う時なら、いくらですか? と訊けるのに、ものでないものに対して、お金のことは切り出しづらい。もしかすると、相手側も言い出しづらいのかも知れない。自分に値段を付けられるというのは、高い場合は嬉しいものだが、たまたま、他の人の金額を知っていて、自分が安く付けられると、がっくり来るものである。

前に、遠藤ミチロウさんとお話した時、ミチロウさんは「出演料を提示されるより、チャージバック制の方がいいな」と言っていた。チャージバックのパーセントは店によってまちまちだ。音楽人口は多いけれど、音楽で食べていけている人はほんの一握りである。どうしたら、お店も潤い、出演者も潤い、お客さんにも満足してもらえるだろうか。

11月4日(日)


SLOW DOWN で行こう会(国武さん)の主催で久留米JST。エレピで2時間。演奏中、汗をかくのはいつものことなのだが、今日はどういうわけか異様に汗をかいてしまった。眼鏡がずり落ちるは、歌詞カードが光って見えなかったりで(みな僕の責任)、一瞬、歌詞が飛んでしまった。歌いながら、ふと、どうして僕はこうして歌っているのだろうと考えてしまった。周りを暗くし、照明を当てられ、一段高いところから、何やら叫んでいる男がいる。これはもしかして不自然なことなのではないだろうかと。

アンコールで2名の方から「からっぽの世界」をリクエストされた。間奏やエンディングで間が持てないような曲は、避ける傾向にあったのだが、演ってみたら全然おかしくないことに気づいた。コードだけしか弾けなくても、そこに感情が入ればいい。自分の出来る範囲でやる。背伸びをしない。音数を増やそうなんてことは考えない。等身大の自分を見せる。

終演後、会場からビートルズが流れてきた。こんないい楽曲があるなら、自分はわざわざ歌う必要などないのではないかと思った。音響担当のターザン(さん)に演奏者を尋ねると、告井延隆さんで曲目は「Here, There and Everywhere」であることを教わった。

そういえば9月15日、北島町立図書館創世ホールでのBGMは、小西昌幸さんの選曲でピンクフロイド「炎〜あなたがここにいてほしい」であった。壮大な音を聴いていると、うっとりしてしまう。本屋をしていた時かけていたアルバムだ。いやー、すごい音楽はあるものだ。音楽を作るなら、歌うなら、もうそのことはかつて誰かが歌ったような歌や、すでに誰かが出していたような音は、やる必要ないのではないか、それらを超えるものでなければ意味がないような気がしてくる。

11月3日(土)


小倉フォークビレッジ。オーナーの小野さんにお逢いすると、いつもピアノの話が出る。「ピアノを入れようとしたら、早川さんから、アップライトで背の低いのがあるって教わったから、わざわざ取り寄せたんですよ」って。小倉にもっと歌いに来なくちゃバチが当りそうだ。

朝、目覚めると、ズボンを穿いたまま、セーターも着たまま、寝てしまったことに気づく。ビールしか飲まなかったのだが、よっぽど御機嫌だったのだろう。ホテルの机の中に『雲のうえ』という北九州市のタウン誌が入っていた。17号は「しゃべりぃ、ことば。」の特集。「ねぇ、びびんこしてぇ ♡」「ええっ! ここでするんか?」
「びびんこ」とは肩車であるとのこと。うーん、言われてみたい。


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