5月24日(金)
自宅から自転車で行ける距離にグランドピアノが置いてあるライブハウスがあるとは知らなかった。場所は東新宿「真夏の月 夜の太陽」。競演のイズミコウジロウさんと初めてお逢いする。イズミさんがエレキブランというバンドをやっていたことも佐久間正英さんがプロデュースしたことも僕は知らなかった。
控室でイズミさんとちょっとお話。なにしろ一人でギターソロを弾きながら歌っていたので大変だろうなと思った。「ドラムベースが入ると楽だよね」と話しかけた。すると佐久間さんが「エレキブランは、ベースドラムどちらも女の子だったんだよ」と教えてくれた。「わーそれはいいな。愉しかったでしょ」と羨ましがると、「いや、バンドをやるなら男です。女の子は言うことを聞いてくれない」とこぼした。
実際のところはどうだったのか(解散は離婚のようなものだから)他人が詮索することはできないが、イズミさんの言い方が面白かったので笑った。いろんな音がうまく絡み合うと楽しいけれど、最後はみんな一人になるのかなと思った。一人で成立しない音楽(音)は何人集まっても駄目だと思う。5月21日(火)
シカゴ大学教授マイケル・ボーダッシュさんから、2013年10月シカゴ大学で歌ってほしいというメールが届いたのは、2012年6月のことだった。嬉しさと同時にちょっと不安を感じた。僕は一度も日本を離れたことがなく、英語はまったくわからず、外国の方と喋ったことすらない。佐久間正英さんと一緒なのでその点は心強いのだが、よその国で歌うという実感が今一つ湧いて来ない。
そんな今日、新宿でマイケル・ボーダッシュさんと打ち合わせをしてきた。ホテルのロビーで初めてお逢いするマイケルさんは背が高く(僕が低い)、ハンサム(死語?)、優しい顔立ち、映画俳優みたいで、ひゃーと思った。同じくシカゴ大学のスタッフ、Sarah J.Arehartさんも交え、佐久間さんと4人で辛味大根そばを食べながらお話した。お蕎麦を食べながらお話するマイケルさんとSarah J.Arehartさんを写真に収めたかったが、まだそんな気安い間柄ではないし、失礼に当たるかなと思って出来なかった。
マイケル・ボーダッシュさんは『さよならアメリカ、さよならニッポン〜戦後、日本人はどのようにして独自のポピュラー音楽を成立させたか〜』(白夜書房)を出された方で、専門は近代日本文学、日本のポピュラー音楽も研究している方だ。僕は日本語ロックの元祖は、はっぴいえんどでもジャックスでもなく、テンプターズの松崎由治さん(「忘れ得ぬ君」作詞作曲)だと思っているが(本当は誰でもいい)、その本にはテンプターズについても随分ページをさいて書かれてあった。1965年に大宮の高校で結成されたそうだ。
シカゴ大学Assembly Hallでのコンサートは無料で行われるのだが、僕の歌を知っている人は皆無なのに、聴きに来てくれる人はいるのだろうか。ふたりの演奏がどのようにみんなに伝わるのかわからない。歌詞の意味がわかってもピンと来ない歌もあれば、意味がわからなくてもじーんとくる歌がある。その違いは何なのかわからないけれど、耳を澄ましてくれる人に何かが伝わってくれたらいいなと思う。
帰りがけ、生まれて初めて「証明写真」のボックスに入り、パスポート用の写真を撮った。出来上がった写真は少し笑っている。見本の写真はみんな口を閉じて真面目な顔をしているけれど、笑っていていいのだろうか? 「髪型により個人差がありますので、顔の大きさが上の2枚は大きめ、下の2枚は小さめになっております」と書かれてある。どうして、普通がないのだろう。パスポート写真を見ながら、だんだんと実感が湧いてきた。5月12日(日)
神戸アートビレッジセンターで行われた森本アリさん企画スタインウェイ・リレーに参加。18人が数珠つなぎで6分ずつの演奏をする。18のさまざまな顔があった。
佐久間正英さんのピアノ演奏はものすごくゆっくりとしたテンポで、心地よい和音がどこまでも響く。音数を多くしたり、いくらだって早弾きはできるはずなのに、シンプルで優しい。テクニックを披露するわけではない。時間が静かに流れ、音と音の隙間に包み込まれていくようだった。マウスポインタをあてるとキャプションが出ます。旧グッケンハイム邸でライブ。初めての方がいると僕は俄然張り切り、見覚えのお顔があるとほっとする。とくにお話をするわけではないが、笑顔を交わすだけで通じあえた気がする。
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その日、佐久間さんは仕事の都合で東京へ車移動。僕は2階の和室に泊めさせてもらい翌朝電車で帰る予定だったが、なんとなく家が恋しくなり、帰りたくなってしまった。スタッフの方が携帯で調べてくれる。三ノ宮から0時13分に寝台特急サンライズ瀬戸があるという。寝台車に乗ったことがない僕は子供みたいな気分になった。
個室寝台があるとは知らなかった。シングルは狭いけど寝るには充分だ。ところが、大失態を演じた。発車してから気づいた。首から下げていたカメラを三ノ宮駅のベンチに置き忘れてしまったのだ。あわてて車掌さんに伝え、連絡を取ってもらった。不安な時間が過ぎる。半分あきらめていたところ、なんと、あるとの知らせが携帯に入った。
「すいません。戻ることができないので、着払いで送っていただけますでしょうか」「はい」「ありがとうごさいます。すいません。なるべく壊れないように包んでいただけると」「わかっています」「申し訳ないです。お礼します」「そんなこといいですよ」「お名前を」「渡辺です」。やさしい駅員さんで良かった。寝台車でぐっすり眠ることができた。世の中いい人が多い。5月11日(土)
京都SILVER WINGS。僕はMCが苦手で曲のタイトルしか言えない。芸がなくて自分でもあきれる。「何か質問あるでしょうか?」とお客さんに投げかける。「京都はどんな印象ですか?」
うわー困った。「ホテルとライブ会場を行き来するだけで、実は観光名所というところに興味がないんです。それはどこの場所でもそうで。かつて自分が暮らしていた町も、秋葉原、代田橋、代々木八幡、武蔵新城と移り住んだんですが、懐かしむ気持ちもなく。つまらない男なんです。ごめんなさい」
「佐久間さんはよく街中を散歩しますよね」「うん、知らない場所を歩くのが好きかな」「今度、大学の先生になるんですよね」「京都精華大学。京都にちょくちょく来ることになるのでみなさんよろしく」。そこでパチパチ。
次の質問「シカゴ大学に行かれるんですか?」「はい。招待されたんです。けれど僕は外国に行ったことがなく英語もまったく駄目で、佐久間さんのお名前を出したらぜひ一緒に演奏して下さいとなったんです」。このように、質問されれば答えることは出来る。5月10日(金)
名古屋夜空に星のあるようにでライブ。店主の広田さんが僕にささやく。「店に500枚のCDがあって、それをランダムにかけているんですけど、開演前に偶然、HONZIが流れてきてびっくりした」。男性から「『嵐のキッス』が良かった」と握手を求められた。同性から好かれるのは誇りであり、同性から嫌われるのは嫉妬である(ということにしておこう)。5月1日(水)
佐久間正英さんとは、ライブの時しか逢わない(逢えない)。最近は打ち上げもしないから、喋る機会と言えば、リハが終わって本番までの間、1時間ぐらいしかない。根本のところでわかりあえているから(たぶん)、もめるようなことはいっさいないのだが、しばしば、意見が分かれる時がある。
「第一印象が良ければ最後までいいよね」と僕が言うと、「いや、そうでもないな。逆の場合の方が多いかも知れない」という返答だった。「えー?」と僕は食い下がるのだが、思い返してみると、一目惚れして、のちのち嫌なところが見えてきて嫌いになった人がいた。僕は人を見る目がない。人を見抜けない。心が読めない。空気も読めない。
「いい人がいい音を出すよね」と得意気に語った時も、「そんなことないなー」と反論された。これも考えてみれば、佐久間さんが正しい。性格が良くてもいい音を出せない人はいるだろうし、性格が悪くてもいい音を出せる人はいる。そうなんだけど、音はその人自身だから、嫌だなと思ったら、僕にはいい音に聴こえて来ないのだ。いい人がいい仕事をする。
いいと思えないのに売れている音楽がよくあるから、尋ねたことがある。「売れる音楽と売れない音楽との違いは何だろう?」「売れる音楽は売れる要素があるよね」。売れる音楽を作り出す方法は訊きそびれている。「佐久間さん、チャラン・ポ・ランタンって聴いたことある?」「名前は聞いたことがある」「たまたま僕はYouTubeで観たんだけど、これが売れる要素なのかなと感じた」
かつて、ある演奏者と共演した時、好みの問題だが、なぜかいい音が伝わって来なかった。歯がゆかったので、「いい助言ないかな」と佐久間さんに頼むと、「それは無理。感性は言って直るものではないから」と言われた。素質は若いうちに出来上がってしまい、あとはそれを円熟していくだけなのだろう。
佐久間さんと音楽以外で喋ることは、あとは、Hな話だけだ。この間、青森に行った時、出番前に控室で、「○○○と○○○、どっちが好き?」と尋ねたところ、これまた、意見が分かれた。ふたりで大笑いした。Hな話を心おきなく出来るというのは、なんて楽しいのだろう。信じられる間柄だからだ。佐久間さんに質問したいこと学びたいことはまだまだいっぱいある。