9月19日(木)
「Hello World」と題し渋谷 Last Waltz by shiosaiにて佐久間正英さんとライブ。佐久間さんとはメールのやり取りはしていたけれど、逢うのは1カ月半ぶりだ。「病気が発覚してから10kg強体重が落ちてしまった」らしいが、話をしたり演奏し始めれば、何も変わらず元気であった。しかし、はたの人には余計な心配をかけまいとふるまっているかも知れない。終演後、「第1部の演奏(約1時間)が4時間ぐらいに感じた」と言っていた。
佐久間正英さんから、「本当に心苦しいのですが、とても残念なお知らせをしなければなりません」というメッセージが届いたのは4月15日だった。3月末、東北を2人でいつものように笑いながらツアーをしてきたのに、その2週間後、胃がなんか変だと気づいて病院で精密検査をしたら、「胃ガンの末期だという診断」が出され、「リンパへすでに転移していて、そちらが大きく癌化しており、そこは手術的にいじることのできない部位」と言われたという。
スキルス胃がんというのは通常の検査では見つかりにくく、おかしいと思った時にはすでに末期ならば、いつ誰がいつ僕がそうなるかわからないわけで、人間は生まれた時から死に向かって歩いているから、みんな同じような運命をたどっていくわけだけど、突然、末期と聞かされれば、なぜ俺だけが、と僕ならば自分のことだけで精一杯になってしまうかも知れない。
「HONZIにあんなことがあってからほんの数年で、今度は自分の身に起きるとは想像もしていませんでしたが、残念ながらこんな現実もあるものなのでしょうね。早川さんには本当に申し訳無い気持ちでいっぱいです。お互いにジイサマになってからもずっと続けたかったので」というメールを読んで、泣けて泣けてしょうがなかった。
だって、ツアーの移動中「デヴィッド・ボウイの新作を聴いたんだけど、特別新しいことをしているわけでもないのに、すごくいいんだ。だから、早川さんもやれるよ」と、佐久間さんは僕を励ましてくれたのだ。デヴィッド・ボウイと同一するのは大それたことだけど、若い時から僕を見守ってきてくれた佐久間さんと、僕はこれからもずっとやって行くんだと思った。
病名は佐久間さんから口止めされていた。希望が持てる話ではないからというのが理由だった。4月末から8月上旬、渋谷、名古屋、京都、神戸、塩屋、シカゴ大学のマイケル・ボーダッシュさんと打ち合わせ、イズミコウジロウさんと東新宿、鎌倉、塩竈、共にライブをしてきた。「一度に食事が入らないんだ。美味しいのに残してしまうので、お店の人に悪くて」と神戸新開地の食堂で言っていた。
8月のライブは、7月中旬過ぎにキャンセルの知らせが入った。左手のマヒを治すため、8月に脳腫瘍の手術をすることになったからだ。ところがライブ前日、急遽「行きます」と連絡が入った。もしかしたら、これが最後の演奏になるかも知れないし、あとで後悔はしたくないからという判断だった。塩竈に合流した時、「今朝、病院に寄って来たんだけど、医者が言うには、予想以上に進行が早くて、肝臓、脾臓にまで転移している」という話を聞かされた。
1日目の演奏を終えたあと、「最期は長男がtwitterかfacebookで知らせることになっているんだ」と言うので、「えー佐久間さん、そりゃないよ。みんながっかりするよ。今、佐久間さんの言葉で伝えた方がいんじゃないかな」と勧めた。その夜、佐久間さんはホテルに戻って一気に書いたのだと思う。翌日「どうかな」とiPhoneのメモを見せてもらった。読みながら、僕は涙が止まらなくなってしまい、何一つ言葉が出なかった。そのまま昼の部を歌ったら、佐久間さんが「歌、良かったー」と言ってくれた。「あんな美しい精神に出逢えば誰だって美しくなれるよ」と思った。文の感想を求められたので、「感傷的にならず、とてもいい文章だと思う」と答えた。
東京に戻ると佐久間さんから、「やはり、あれは暗いから発表するの控えるよ」とメールが入った。「うん、そう思ったら、それが正しいと思う。それがいいね」と僕もなぜかほっとした気持ちになった。まだまだ佐久間さんはずっと元気でいられるんだと思った矢先。2、3日してtwitterを見ると、京都に出かけたらしく、「美味しいものも食べたことだし、そろそろ重大発表するかな」と書かれてあった。僕は思わず「やめろー、やめてくれー。すべて嘘だー」って、誰に向けて言っているのか自分でもわからないけれど、部屋の中で叫んだ。
公表後、僕のところにも反響があった。渋谷Last Waltzのオーナー石原忍さんから「9月19日空けておきますから」と連絡が入った。渋谷CLUB QUATTROの上田健二郎さんからは「9月29日使って下さい」とご返事をいただいた。万が一の場合はキャンセルになってしまうけれど、それでもいいですかと問うと、「どういう形になってもかまいません。佐久間さんのために空けておきます」。どちらのお店も同じスタンスであった。
佐久間さんの書いた「goodbye world」という文章がすべての人の心を動かしている。もしも、僕が突然、末期ガンと宣告され、肝臓、脾臓、脳にも転移し、あと、1、2カ月、もって年内と医者から言われたら、おろおろし、嘆き悲しみ、怖ろしくもなり、ふさぎこみ、やけになり、あたり散らすかも知れない。
ところが、佐久間さんは病気を冷静に受け止め、どういう治療法が良いかも自分で調べ、前向きに、かといって、闘うんだというふうでもなく、「無駄に生に執着せず」、いつもと変わらず、常に人に優しく、気を遣いながら、仕事をこなし生活をしている。最後までギターを弾きたい、左手のマヒを取り除きたいために、8月14日脳腫瘍の手術を受けた。僕には真似ができない。この日僕は「いつか」という曲の中で、「♪生きてゆく姿がステキなんだ 佐久間正英」と歌った。9月1日(日)
山本精一さんと競演することになったきっかけは、2012年11月12日名古屋得三で僕がソロライブをやった時、オーナーの森田裕さんから「早川さん、若いお客さんが付いている人と競演しなくちゃだめだよ。山本精一さんどうかな。うん。9月1日決定ね」とその場で決まってしまった。
東京大阪もと思い、山本さんにメールで相談をしてみた。ところがなかなか返事が来ない。「まずいこと言ってしまったかな」と心配していた数週間後、山本さんから電話が入った。「東京も大阪もライブハウス抑えましたから」「えっ、そんな大きなところでやるんですか? 僕はふだん30人とか50人ぐらいのところでやっていて、そんなに入りますかね」「僕と早川さんとだったら絶対入ります。ただし、チラシは作ります。安く作ってくれる友だちがいるので。名前をバーンと描いただけの。それだけで十分ですから」と嬉しい返事があった。
山本さんは大阪難波べアーズのオーナー兼店長を27年ぐらいやっていたことがあるから、どうすれば、お客さんに情報が伝わるか、どうすれば、効果的な宣伝が出来るかのノウハウを知っている。山本さんは京都に住まわれているのだが、僕と佐久間正英さんが京都でライブをしていたことを一度も知らなかったという。これにはびっくりした。僕は自分のHPで告知し、それでもお客さんが来ない場合は、自分のせいであり、しかたがないとあきらめていたが、届いていないのだ。僕のHPを常にチェックしている人はほんのわずかだ。「早川さんの音楽を好きそうな人は、京都なら磔磔かアバンギルドあたり。東京なら、会場は代官山でも、チラシを置く場所は高円寺です」と言う。 20年ほど前、京大西部講堂でご一緒させてもらったソウル・フラワー・ユニオンの中川敬さんからも指摘されたことがある。「早川さん、若い人に聴いてもらわなくちゃだめだよ」。一番感受性の強い時期に受けた衝撃、感動は一生忘れられないからだ。僕の経験からも言うと、10代後半から20代前半にかけて影響を受けた音楽、本からの影響は、その後のものの考え方、感性の基本となっている。いかに、その時期が大切かだ。
得三ライブ終了後、乾杯した。3日間で各会場たくさんの方たちが参加したライブ経験は僕にはない。森田さん山本さんのおかげだ。「早川さんの歌、もっと若い人たちにも聴いてもらえたら、広まると思うんだけどな」と山本さんが言ってくれる。「森田さん、また、いい企画お願いします」。
やがて、ごくごく自然にHな方向へ。もの静かな山本さんも僕に負けず劣らずHであったのが嬉しい。山本さんとは共通点が多い。恥ずかしがり屋、神経質、持っているカメラも同じGRだ。山本さんは「僕は異常ですから」とステージ上でも答えていた。異常者と名乗る人は異常者であるはずはないが、山本さんと僕はほんの少し異常かも知れない。
つまらない歌を歌う人は、たぶん、性もつまらない。ステキな歌を歌っている人は、性もステキだ。上っ面の話ではない。性と同じように、一番深いところが、色っぽいか、美しいかである。もちろんセックスはセックスだけではなく、一緒にいて楽しいか、歓び、悲しみを共有できるかだ。
人生は思い通りに行かない。でも思い通りに行かなかったことがかえって良かったと思える時がやがて来るだろう。孤独を噛みしめる時間も大切である。田辺聖子の「人は何のために生きるか? ということを私はいつも考えている。私は人生を楽しむために生きるのだ、と思っている。そして私の場合、楽しむことは人を愛すること、人に愛されること、にほかならぬのである」の言葉通り、好き同士の人と巡り合えるよう、自分を磨いて行くしかない。8月31日(土)
代官山UNITは、僕は初めての場所だ。普段、クラブ(平坦なアクセント)といって、フロアーで踊るところらしい。音響の方と雑談。「踊るって、僕の若いころ45年前は、男女が抱き合って踊るチークダンスというのがあったんだけど、今もそういうのあります?」「いやー、そういうのは見かけないですね」「えっ? じゃ、どういう踊りなんだろう。名前があります? 昔だったら、ツイストとか、モンキーダンスとか、ドドンパ、ゴーゴーとか」。初めて聞く言葉で驚いたかも知れない。「いや、特に名称はないです。みんな好き勝手に踊るだけで」
ステージにピアノがないので、この日のためにグランドピアノを入れてくれた。地下2階まで搬入し、調律、そして終われば撤去。すごい金額のはずである。採算を度外視している。110席の椅子も普段は置いていないから、レンタルしたそうだ。僕はUNITの方と知り合いでもない。当日まで会ったこともない。電話もメールでも挨拶を交わしていない。僕は失礼な男だ。ところが、入り時間に着いて挨拶をすると、スタッフの方たちは実にさわやか、テキパキと仕事をこなす人たちばかりであった。音楽への愛情以外に何があろう。 山本さんの歌を聴く。「まさおの夢」「♪言いたいことがあるなら ずっと黙っていればいい」「♪犬の目は……」「♪水は……」。あー歌詞を忘れてしまった。出だしがいいとすーっと入っていける。すべてはイントロで決まってしまう。店構え、受付、第一印象。中身は、表面に顔に声に音に表れる。
8月30日(金)
山本精一さんと梅田シャングリ・ラでツーマンライブ。大阪、東京は、山本さんがお膳立てをしてくれた。シャングリ・ラのアップライトピアノは背が低いから下手に置いても客席から顔が見える。上手に置き背中を向けて壁に向けて歌うよりはこの方がいい。
本番前に山本さんとお話。なにしろ今までちゃんと喋ったことがない。「山本さんは、いろんな方と演奏しているでしょ。交友関係が広いですね」「いやー、僕は友だちいませんから。終わったら、すぐ帰って、打ち上げもなし」「あー、僕も最近、打ち上げしないです。よっぽど楽しいことでも起きないとね、意味ないですものね」
「山本さんは、歌の合間に喋る方ですか?」「いや、全然喋りません。歌の題名すら言わない」「わー、僕も昔そうだった。最近は、題名ぐらいは言うようになったけど」「名古屋得三はトイレが舞台のそでにあるでしょ。だから演奏中にそこを行ったり来ている人がいると気が散って、だから演奏中はトイレ禁止にしたことあります」「わーすごい。たしかに、演奏中、物音や人の動きがあると気が散りますよね。神経質なところ、似ていますね。でも僕は神経質でわがままなんだけど、実は我慢してしまうところもあって。たとえば、怒るべき人に怒らなかったり、優しくするべき人に優しくしなかったことがある。人生をやり直すことができればそこかな」