10月20日(日)
シカゴから成田へは、佐久間正英さんのマネージャー内藤直樹さんと一緒に帰って来た。シカゴオヘア空港の保安検査場では、靴を脱がされ、ズボンのベルトを外され、何かとんでもないものでも見つけ出すつもりなのだろうか、お腹を一周さぐられた。アメリカは入国出国に関しては本当に厳しい。
20日の午前11時に飛び立ち、成田着は21日午後14時であった。
搭乗前、松沢明彦さんからメールが届いた。松沢さんはそれまで日本にいて、時々ライブを見に来てくれた方で、今はニューヨークに転勤、都合をつけてシカゴまで見に来てくれたのだ。「佐久間さんにとって、『からっぽの世界』は特に思い入れがあるのではないでしょうか。あの佐久間さんの演奏は本当に素晴らしかったです。録音していたら、『青い月』のB面はこれで決まりですね」とあり、嬉しかった。「佐久間さんのことは心配ですが、ずっと立って最後まで演奏をした姿は忘れません」と書かれてあった。10月19日(土)
朝、佐久間正英さんとエンジニアの中崎文恵さんは、お仕事と友人に逢うためニューヨークへ旅発った。深夜、佐久間さんからメールが来た。
「お疲れさまでした。明日はお気をつけてお帰り下さい。ニューヨークでは、こんな夕飯です。(笑)」
ありゃ〜? 大葉、塩辛? 揚げだし豆腐、天ぷらそば、参りました。我々は、内藤さんと、男同士で、昼は公園散歩、ミシガン湖まで。夕飯は、歩いて7分くらいのところに、日本そば屋さんらしきところを携帯で見つけたんだけど、なんとなく失敗する予感がしたので、最初のパスタ屋さんへ。
サラダ、これは正解。トマト味は避けるようにして、メニューには書かれてなかったのだが、「ぺペロンチーノ」と言って注文。ところがやってきたのは、唐辛子もニンニクも入っていない。味がないから、お塩をかけて食べた。量は、二人で分けたからいんだけど。イカすみは、見つからなかったから、あと、もう一品は、ブロッコリーが入ったパスタを、これは白っぽい何かがかかっていて味があった。ビールにワイン2杯(ワインはなみなみ)。
日本に帰ったら、お蕎麦を食べること、浴槽につかることを楽しみにしています。中崎さんにもらった湿布貼って、早めに寝ました。けれど、朝かと思ったら、なぜか夜中23:30、目が覚め、佐久間さんのメールに気づいたところ。今度来る時は、スリッパ、防寒着、カップラーメン、即席味噌汁を忘れないようにしようと。
明朝早くに発ちます。佐久間さんたちも気をつけて、良い旅を。ありがとう。いろいろと。メールがあって、安心しました。絶対、ずっと元気でいて下さいね。お互いヨボヨボになっても、演奏だけは変わらない。秋田の玉川温泉予約して、一か月ぐらい、休養するのどうかしら? ではまた!10月18日(金)
シカゴ大学 International Houseの舞台のスクリーンには、「Performing Hayakawa Yoshio」と文字が映し出されている。マイケル・ボーダッシュさん、上野俊哉さん、ジェームズ・ドーシーさんがかわるがわる僕に関する論文(?)みたいなのを英語で発表している。日本ではあり得ないことだ。人ごとのように感じた。佐久間さんも壇上に呼び出され、僕との出会いを話す。16歳で知り合い、今にいたるまでのことを。次に僕も呼ばれ、音楽について話したい気持ちが少しあったが、すぐにでも歌いたくなり、「早く歌いたいです」とだけ答えた。
ユーストリーム中継の準備、急遽、佐久間正英さんを追いかけて、ニューヨークからNHK CosmoMedia Americaのカメラも入り、機材、配線、サウンドチェックなど。僕らが楽屋で休んでいる時、会場ではレセプションが行われていた。佐久間さんは昨日あたりから風邪をひいたらしく、体調が悪い。背中を軽くさすろうとすると、抗生物質を飲んだため、「水を飲んだだけでも吐きそうになる」と答えた。
約1時間の曲目は佐久間さんが考えてくれた。「ひまわりの花」「赤色のワンピース」「堕天使ロック」から始まり、「からっぽの世界」まで11曲。アンコールをいただいたら、「この世で一番キレイなもの」を準備した。「からっぽの世界」のエンディングのギターはテクニックなんかをはるかに超え、佐久間正英を全部出し切っている感じがした。そでに引っ込んでもパチパチはあったが、「これで終わった方がいんじゃないの?」と僕が言うと、「スタンディングオベーションだから、行きましょう」と佐久間さんはやる気。予定通り「この世で一番キレイなもの」を演奏。ゆっくりと落ち着いて歌えた。ギターが途中から透き通って聴こえて来る。二度目のアンコールでは「君でなくちゃだめさ」を歌って終えた。
終演後、ボーダッシュさんから、「近所の人を誘ったんだけど、歌の意味など、全然わからないのに、泣いていましたよ」と言われた。おー、なんて嬉しいことだ。意味が通じなくても何かが伝わっている。声、息遣い、音、メロディーが目には見えない場所まで沁み込んで行く。ありがとう、マイケル・ボーダッシュさん。10月17日(木)
ソロモンさんの案内で、シカゴ大学を下見。ボーダッシュ教授、サラ教授と打ち合わせ。会場になるホールも見せてもらった。スタインウェイのコンサート・グランドピアノがある。その後、大学の構内にあるレストランで、日本文学のホイット・ロング教授、レジー・ジャックソン教授らと食事。僕の食べるものは佐久間さんが選んでくれた。美味しかったー。食後、CHICAGO BOOKSTOREで、お土産品を買う。ホテルに戻り、また、寝る。
10月16日(水)
朝食はルームサービスを頼んだ。電話で「ブレックファースト、スクランブルエッグ」「ナントカ、カントカ……」「イエス、パン。ワンワンゼロナナ(セブンと言ったどうか忘れた)」。話の途中、早口で(遅口でも同じだが)ペラペラペラと英語で話しかけられると、さっぱりわからなくなりくじけそうになるが、トントンとドアをたたく音がして、朝食が届いた。ところが、昨日お昼に食べたパスタの味と何となく似ている。二食目にして、もう日本食が恋しくなってしまった。
鯵のひもの、冷奴、ご飯、味噌汁、うなぎ、お蕎麦、ラーメンが浮かんだ。うなぎ、ラーメンは脂っこいかも知れないが、アメリカの脂っこさとは違うような気がする。お醤油味が恋しくなってしまったのだ。
お昼、佐久間さんから電話が入り、親切にお昼ご飯の誘いがあったが、僕はお腹がもたれているため遠慮し、夕飯を一緒に食べましょうと約束した。佐久間さんが調べてくれて、近くのホテルにお寿司屋さんがあるらしいので、そこへ行くことにした。お味噌汁が出てきてほっとした。お味噌、お醤油、お酢にやっとたどり着いた。習慣とは怖ろしいものだ。意識していなかったことだけど、まさか、自分がこんなに、日本食にこだわるとは思ってもいなかった。10月15日(火)
シカゴまで、長時間の長旅。僕にとっては初めての海外旅行だ。佐久間正英さんの勧めでビジネスクラスにして良かった。JALの案内係は優しく手際よく搭乗までスムーズ、ゆったりとできた。機内では佐久間さんと隣合わせだったことも一安心だ。でも、佐久間さんは「昨日から、痛み止めの薬が効かなくて、腰の骨が痛いんだ」と言う。「何か手伝うことある?」と尋ねると、「いや。途中、立ちあがることがあるかも知れないけど気にしないでね」と言われた。
坐るのも寝るのも苦しそうだ。でも、だんだん薬が効いてきたのだろうか、しばらくすると、佐久間さんは横向きになって寝入っていた。僕は機内食は和食を頼んだ。九つの小鉢に少しずついろいろなものが品よく収まっているのだが、うーん、デザートの抹茶ババロアだけが美味しかった。佐久間さんはその間、ぐっすり寝ていたため、和食を食べそこない、たぶん、洋食を頼んだのだと思う。
佐久間さんから曲目を聞いていたら、スチュワーデスさんから、「お連れさまだったのですね」とにこにこと話しかけられた。「ええ、恋人同士なんです」と僕は答える。「雰囲気が似ていらっしゃるから、同じお仕事関係の方かと思いました」と言われた。
空も暗くなり、僕は寝てしまった。ふと目が覚めると、先ほどそれほど食べなかったせいか、お腹が空いてきたので、三元豚かつサンドとビールを注文した。肉の厚さが、これまで見たことのない厚さであり、柔らかく、ほんの少し脂身もあり、これは美味しかった。
入国審査が厳しくてびっくりした。成田の出発時とは大違いである。航空会社ではなく、お役所仕事だからか、テロ対策もあり、しかたがないのかも知れない。まったく、お客さん扱いではない。すべてが命令口調だ。たまたま、佐久間さんのギターケースを僕がカートで押していたので、危険なものでも入っていると思われたのだろう、厳しくチェックされた。
空港には、日本語が出来るシカゴ大学の大学院生ジョシュア・ソロモンさんが迎えにきてくれた。車でホテルまで連れて行ってもらう。ホテルは僕などが通常ツアーで使っているビジネスホテルより立派、内装もシンプルで、それぞれのデザインセンスはいいのだが、これは習慣の違いなのだろうか、シャワーはあるのだが浴槽がない。細か〜いことだが、スリッパがない。いや、ないことがわかっていれば、使い捨てのスリッパを用意して行ったのだが、さっきまで土足で歩いていた絨毯の上を裸足で歩くのに妙な抵抗を感じた。そういえば、アメリカ映画でスリッパを履いているシーンは見たことがないから僕の不勉強でもあった。
お昼は、ホテル内にあるレストランでパスタを佐久間さんたちと食べることにした。メニューは全部英語。僕はさっぱりわからず。適当に頼んだら、予想もしていなかった特大のマカロニにトマト味がかかっていた。残さないように食べたかったが、全体に量が多くて、とても無理だった。
その日、近くにセブンイレブンの看板を見つけた。しかし、商品は日本とはだいぶ違い、結局、何も買わず、その日はホテルに戻り、僕はそのまま何も食べずに、寝ることに決めた。何度も目が覚め、うつらうつら。少し肌寒い。翌日、クローゼットに毛布があることに気づく。どうも、僕は旅慣れていない。10月7日(月)
胃がんの末期であることを知らされた時から、佐久間正英さんには泣かされっぱなしだ。脳腫瘍の手術を受けると聞いた時も、「goodbye world」を読んだ時も、佐久間さん元気かなとふと思い浮かべた時も、「ありがとう」というたった一言のメールの返信だけで、泣けてくる時もあった。
前より、食事はのどを通らないようだし、激痛のため夜中、目が覚め眠れないらしいし、ギターが重いって言っていたし、体力は消耗しきっているにもかかわらず、弱音を吐かず、強がりもせず、佐久間さんは変わらず誰に対しても優しく、どこまでも自然体だ。左手のマヒは完全に治ってはなく、ギターの弦を押さえる時、自分の意志とは関係なく、半音ずれてしまうこともあり、ピアノを弾く時は、突然、Cのコードがわからなくなってしまう場合があると言う。
クアトロでやりたい、京都でやりたいと希望したのは佐久間さんだった。僕は日程を押さえただけで、曲目、ライブ構成、共演者への誘い、映像録音関係、舞台監督、手伝いの方たちへの連絡など、すべて佐久間さんがしている。京都SILVER WINGSのオーナー平井淳一さんは、なるべく多くの方たちに見てもらえるよう、急遽、椅子を30脚買い足し対応してくれた。
リハーサルで佐久間さんがアルペジオを弾いていた。キレイな音だったので、「あれ、それなんの曲? 佐久間さんの曲?」と訊ねたところ、「『天使の遺言』だよ」と言う。気づかない僕が鈍いのだけど、ギターだけを単独で聴くと、ひとつの音楽になっている。佐久間さんは自己を主張するためではなく、歌を生かす、作品として完成させるために演奏をしているから、一緒に演奏すると、図々しい言い方だが、まるで、僕が弾いているかのように、音が溶け合ってしまうのだ。
京都での飛び入りゲストは、ベース根岸孝旨さん、ドラム屋敷豪太さん、ピアノ力石理江さんがアンコールで出演してくれた。ドラムセットをすばやくステージのそでからセッティングするため、宮崎県から堀川健治さんが手伝いに来てくれた。堀川さんはかつて、そうる透さん、佐久間正英さんのアシスタントをしていた方であり、みんなが結集してくれた。
屋敷豪太さんは、東京での仕事の関係でギリギリ間に合った。僕は初めて共演する。なんと心地よいドラムであろう。音が立っている。ベースは底辺を支え、ピアノの力石さんとは連弾をした。まあ、びっくりした。初めて聴く曲を2、3小節聴いただけで、リズムも雰囲気も的確にとらえ、間奏では、パラパラパラと、思ってもみなかったようなメロディーが飛び交った。同じピアノを弾いているのに、タッチ、音色がまったく違うのだ。やはり、音は楽器から出て来るのではない。その人自身が楽器だった。軽やかで色っぽく、みんなの身体に音が駆け巡った。あの音色は、一生忘れないだろう。世の中には、すごい人がいるものである。
終演後、佐久間さんのお友だちのお店で打ち上げをした。最後、佐久間さんが挨拶をした。「もしかしたら、京都の人たちとはもう逢えないかも知れないけど、今日はどうもありがとう」。みんな心の中で泣いた。でも明るく、手をたたき、みんなで写真を撮った。
10月5日(土)
池袋鈴ん小屋小村さんの企画で金子麻友美さんと競演。お逢いしたこともお話したこともないのでライブタイトルが浮かばなかった。そのため、メールで日常のやりとりをし、「五つの質問」に答えてもらったりして、「普通の中に普通でないものがある」というタイトルに決まった。
リハーサルをした。初め、金子さんが歌う「僕らはひとり」は、緊張のせいだろうか、今一つリアリティを感じなかった。「この歌のふたりはベッドの中なんだよ。『♪ねえ どうして 離れて行ってしまうの』と歌う時の目線と距離は、せいぜい30センチなんだ」と言うと、「えー、そうなんですか?」と驚く。
「わたし、これまで、歌は全部遠くに向けて歌っていた」と言う。「誰に向けて歌うのか、相手との距離を意識した方がいんじゃないかな。そうしないと情景が浮かんで来ない。『君でなくちゃだめさ』も、心底好きと思わなくちゃ、嘘の歌になっちゃう。楽器を弾く手は愛撫するようにね」と、自分は下手っぴいなのに、偉そうに教授した。
昔、HONZIと共演した時、「あのふたりはデキている」と言われたことがあった。それをHONZIに伝えたら、HONZIは喜んで「それはいいね」と答えた。手をつないだこともないのに、音楽の時だけ息がぴったり、そう思われるのは演奏者冥利だ。実際にデキている人たちは、別な場所で愛し合っているから、ステージ上で音楽を生み出すことは出来ない。
金子さんの新曲を控室で聴いた。良かった。どこに届けようとしているのかが見えた。金子さんは今回10カ月ぶりにソロで歌ったらしいが、バンドの音が入っていないから(自分で弾くギターの音数も少ないため)、静かな空気の中で、歌詞がちゃんと入ってきた。
「♪何かを持つということは 何かを捨てるということ」(よかったのかな)
「♪容れ物みたいな自分 入れた分だけ大きくなる 好きなものを入れるのか 嫌いなものかで変わってしまう」(容れ物)
終演後、クアトロでの演奏も観たというお客さんから「新曲が良かった」と言われ嬉しかった。タイトルを訊かれたので、「それがまだ決められなくて」と答えると、「絶対『青い月』がいいですよ」と薦められた。毎日逢えない人への歌だから、「青い月」がぴったりのような気がしてきた。提案ありがとう。9月29日(日)
渋谷CLUB QUATTROにて、「The beautiful world」と題し佐久間正英さんとライブ。スペシャルゲストは、くるり。バイオリンのクラッシャー木村さん、歌手のゆあさみちるさんも参加。
ふだん、佐久間さんとライブをする時はほとんど僕が選曲し、4、5日前に曲順表を送り「いい感じだと思います」という返事をもらってからするのだが、9月19日ラストワルツでの選曲、9月29日の選曲、曲順は、すべて佐久間さんが決めてくれた。佐久間さんの演奏したい曲と僕がその日に歌いたい歌がほとんど同じであったことが不思議である。
アンコールはくるりと一緒に演奏した。佐藤征史さんのベース音は心地よい。ファンファンのトランペットは、おー!って感じ。ドラムの岸田繁さんとはしばしば目が合ってにっこりした。佐久間さんに、「やはり、いい人はいい音を出すよね」と改めて言う。すると、佐久間さん「これまで、早川さんとやってきたバンドの中で、一番良かったね」。
よく使われる決め台詞がダサイように、良い演奏はよくある手を使わない。その曲にしか合わないフレーズを弾く。歌を説明している効果音は意味がない。より歌いたくなるような創作が演奏者から生み出されなければ人数分の良さは出ない。澄み切った音が血管を流れる。