6月29日(土)
同じような構成でいいかなと不安に思う時がある。毎回聴きに来られる方が飽きてしまうのではないかと。ところが確かめてみると、全然おかしくないとのことだった。メニューは変えればいいってものではないのかも知れない。美味しいものは同じ味でありたい。いい映画なら何度でも観たくなる。
新曲を作りたいのだが言葉が出て来ない。あー、もう伝えたいことが、伝えたい人がいないのかなと思う。同じようなテーマの曲を作っても面白くない。今の僕の気持ちは息を吸うことによって表現出来るのだ。佐久間正英さんとの「あじさいライブ」(鎌倉歐林洞ギャラリーサロン)、最後に「真っ昼間の春歌」(作詞山元清多 作曲早川義夫 1970年作)を歌った。6月1日(土)
2007年9月27日那覇空港に降り立った時、HONZIが息を引き取った知らせを受けた。前日、中川五郎さんから「具合が悪いんだ」と連絡はあったが、3日前には辻香織さんと車椅子で野球場に出かけたようだし、生きていて欲しかったので涙をこらえ切れなかった。もともと沖縄へは一緒に行く予定だった。結局、8月末の富山、金沢、渋谷の3日間がHONZIとの最後の演奏となった。
ご主人に電話を入れた。「ごめんなさい。何もしてあげられなくて」。それしか言葉が出なかった。休んだ時期もあったが、バイオリンを弾かないと張り合いがなくなるということで演奏に付き合ってくれた。抗がん剤の副作用で、髪は抜け、骨に転移していたのだろう、バイオリンが重そうだった。金沢では吐きそうと言っていたが、演奏はさらに繊細で激しく美しかった。
渋谷にはお兄様が迎えに来られた。その後、「沖縄の件ごめんなさい。私は十日に退院して、家で安静中です。ごはんが食べれるようになり、栄養をつけてます。ゆっくり回復しますね! 早川さんもそれまで待っていてください。さて、ひとつおねがいです。またTシャツ注文。肝臓が腫れてるので、サイズビッグです。これからは永遠にLLL…」というメールが入った。
FM那覇の番組でパーソナリティー田村邦子さんから質問を受けた。「それでは最後に早川さん、今後の旅の行方は?」。僕はHONZIを思い浮かべ、「自分の意見とか主張とか個性を出そうなんていうことではなくて、もう語れない人、もう歌えない人のために歌を歌うことが出来たらいいなと思っています」と答えた。からっぽの世界 早川義夫+HONZI
国立地球屋 2007.5.12 撮影 渡辺一仁I LOVE HONZI 早川義夫+佐久間正英+HONZI
青山月見ル君想フ 2007.6.10 撮影 渡辺一仁